ピアノの部屋から、ショパンの「革命」が聞こえてくる。長女が中学生の時に発表会で弾いた曲だ。それから、「トルコ行進曲」「エリーゼのために」「春のささやき」とレパートリーが続く。どれも子どもの時に発表会で弾いた曲だ。よく覚えているなと思う。
今度は次女が、最近観た映画「ララランド」のメドレーを練習し始める。けっこう難しいのに、弾きたい一心で集中している。夕食後はピアノの取り合いだ。
今は2020年4月。新型コロナウィルスの世界的大流行で、みんな家に閉じこもる日々。娘たちも仕事を失って家にいる。こんな日が来るなんて誰が予想しただろう。
学生時代にそれぞれ海外へ留学した娘たちは、帰ってくると「日本には住みたくない」と言った。そして長女はカタール航空の客室乗務員になり、6年近くカタールに住んで世界を飛び回っていた。ひょんな事情で辞めて帰ってきたのが去年の秋。そこから再就職したのはフィンランド航空だった。紺色がベースのキリッとした制服は、前のカタール航空のエンジ色の制服より娘に似合っていた。
その研修が終わっていよいよフライトという時、コロナ騒動が酷くなり、娘は帰国することになった。
次女は卒業後、台湾に1年余り語学留学に行った。もともと耳が良く、幼い頃からモノマネ上手で家族を笑わせてくれた次女は外国語の発音に長けていて、学生時代には学内の英語のスピーチコンテストで優勝している。発音の難しい中国語も、私にはよく分からないがとても上手にしゃべっているように聞こえる。ちょっとした接客には使えるくらい習得して帰ってきた。
そして、いずれは海外で働きたいと日本語教師の資格を取り、この4月からいよいよ働くはずだった。
次女の心境は部屋を見ると分かる。クローゼットや引き出しの物を全部出して断捨離をし、部屋を綺麗に片付けてやる気満々だった。その矢先、コロナ騒ぎで学校が開校できなくなり、研修だけ終えて自宅待機である。
私は趣味の社交ダンスにも、弦楽アンサンブルの練習にも行けなくなり、それでなくても思いついたら東京でも名古屋でも飛んで行く生活から一転して家にいる。幸い、ピアノの生徒さんはほとんどオンラインレッスンに切り替えて続けてくれている。それでも時間に余裕ができ、これまでより丁寧にご飯を作ったり掃除をしたりしている。
ピアノを弾く時間も増えた。曲の好みというのは食べ物と同じで、年齢と共に変わってくるものだ。今は子どもの頃嫌いだったシューベルトがマイブーム。弾けば弾くほどその和声のひだの奥に哲学的な深さを感じて惹きこまれていく。若い頃には理解できなかったのだろう。
他にも戸棚いっぱいにある楽譜を全部弾こうとすれば、一生あっても足らないだろう。出かけることの大好きな私だが、家にいてピアノがあれば、退屈することはない。
テレビやYouTubeを観るのは気楽で楽しいけれど、どちらかといえば受け身である。ピアノを弾くという行為は楽譜を読み取り、そこに隠れている素晴らしい音楽を音に表していく作業。すぐには思うように弾けないこともあるけれど、少しずつ形作っていくプロセスそのものが楽しい。
けれど考えてみたら、忙しい時はそのプロセスを楽しむ余裕がない。頭の中はあれもこれもとするべき事が浮かび、音楽に集中できない。これはきっと子どもたちも同じだと思う。
実際、コロナ騒ぎで学校が休校になってから、生徒さんたちもピアノに向かう時間が増えている。どこへも行けず退屈を感じた時、一日中テレビを観たりゲームをしていても飽きてくると思う。そんな時ピアノがあれば、いつもよりじっくり取り組むことができるのだと思う。
部活や塾に追われて顔が引きつっていた中学生も、この頃はふっと顔が緩んで緊張が抜け、いい感じだ。
コロナで巣篭もりの日々も悪くない。もちろん、一日も早い収束を願うけれど、今回のコロナは、現代の人々の生活に大きな転換をもたらすものだと感じている。
どの家庭も家族と過ごす時間が増え、思わぬ小さな幸せを見つけているのではないだろうか。
私たちは忙し過ぎた。このまま突っ走ってはいけないよ、と強制終了させられたのかもしれない。
今日は娘たちと少し遠いスーパーに買い物に行く。娘たちと一緒に食事やお菓子を作るなんて些細なことが、実は幸せなのです。
幸せは身近なところにあるのですね。