【画家のアトリエ】

牧野 文幸「生きるよろこび」

口と足で描く芸術家協会

 

 

口と足で描く芸術家協会は、両手の自由を失った障がいのある画家たちが口や足に筆をとって描いた絵をもとに、グッズを作成、販売しています。

その収益により、画家たちの自立を目指しています。

 

 

 

 

【画家のアトリエ】牧野 文幸「生きるよろこび」を公開。

 

牧野 文幸 さん

岡山県/口で描く

1966年1月富山県生まれ。

高校2年生の夏、水泳の練習に失敗して頭を強打し頚椎を損傷。

以来、首から下全身がマヒしていた。

15ヶ月の入院後、車椅子で元の普通高校に復帰、級友の助けを借りて見事に卒業。

卒業後、リハビリの先生に勧められ口で絵を描き始めた。

職業画家のもとで、毎日長時間の修練を重ね、4ヶ月で描けるようになった。

絵は、一人では何ひとつ出来ない自分が唯一輝くことのできる場所だと言った。

さらに書道にも情熱を傾け、2004年に教授免許(五段)を取得。

絵画制作の傍ら、同協会の巡回展会場にて実演、また、地元の学校や公民館などでの講演活動を行っていた。

2017年6月没。

 

 

 

 

「静物」

ウィスキーボトルと貝を描いた処女作。

3カ月がかりで描きました。

 

 

 

 

「花火(レインボーブリッジ)」

癖のない綺麗な絵。

多くの方に好まれ様々なグッズに採用。

 

 

 

 

はじめ、個展の開催には気後れするところもあったが個展を開いたことで、「生きてきた」ことの「記憶」と「証」を創り出し、新しいことにチャレンジする意欲に繋がった。

それから25年の歳月を経て、初の個展を開くこととなった牧野さん。

いつかは個展を開いてみたいと考えてはいたものの、なかなか機会を得られずにいた彼の背中を強く押してくれたのは、油絵をはじめてみないかと声を掛けてくださった先生でした。

自分には大きすぎる舞台なのではないかと、少なからず気後れするところもあったという牧野さん。

しかし、「美術館」ならではの空間に触発されることで、「生きてきた」ことの「記憶」と「証」を込めた展示を創り出せるのではないかと思い、個展開催を決意しました。

個展では、甲乙付け難い絵の中で代表作としてどの絵を選んだらいいか大変苦労したようです。

悩んだ結果はスペースも限られていましたので、「青の刻」、「駆ける」、の2点に。

この二点は、自作の詩を付した大作で美術館一階のメーンの壁面で右の写真のように展示しました。

 

 

 

 

「青の刻」

迷い込んだ林の中、 たちこめる靄(もや)に辺りは青く染められている。

すりぬける風は肌に心地よく、 葉ずれの音は、優しく耳へとすべり込む。

どれくらいの時が流れてしまったのか、それさえもわからない。

抜け出す道は見つからず、思いは堂々巡り。

思い悩む日々の思いを胸に秘めつつも、凜として静かに澄んだ空気の草原で気持ち良さそうに草を食んでいる馬の情景が描かれています。

 

 

 

 

「青の刻」に付された自作の詩

「駆ける」時は来た、さあ、未来に向かって走り出せ。

突き進む先に、恐れるものは何もない。

刻まれた蹄跡は、己の記憶。

もう迷わない、道は果てしなく続いている。

 

 

 

 

「駆ける」

勢い良く走り抜ける馬の様子を表現したものですが、悩みの螺旋階段を下り続けていたときに、誰かにきっかけを与えられる(あるいは自分でみつける)ことによって光が差し込んできて、目指すものに向かって力強く走り出す、という意味を込めました。

 

 

 

 

「駆ける」に付された自作の詩

 

 

このように「静」と「動」を対にして並べることによりインパクトのある個展を開催することができました。

この個展を開いた経験は、牧野さんにとって「生きること」を続けてこられたこと、そして、これからも「生きること」を続けていくためには、支えてくれる大勢の人たちの力なくしては成し得ないということ。

さらに、新しいことにチャレンジするのは、大きなエネルギーが必要だけどワクワク感に満ち溢れていると、気付かされた出来事でした。

 

 

 

 

今回のコラボが実現したきっかけは、2014年6月、牧野さんが協会のスタッフとともに、高校の大先輩が会長を務める倉敷帆布の老舗工場「タケヤリ」さんを訪問することから始まりました。

牧野さんは、絵を描くことのみならず、身体の調子が悪くて絵が描けない時も「お客様がどんな商品を選ばれ、どんな絵を好むのか」を常に考え、創作活動に励んでいました。

そこで生まれたアイディアが、「Made in Japan」。

日本で古くから親しまれてきた伝統的な素材と、牧野さんの絵や書を使ったコラボレーションができないかというものでした。

また、牧野さん自身が倉敷出身であることから、地元の老舗企業と共に創作し、倉敷らしいコラボレーション商品を作ることができないか、と考え始めました。

そして、倉敷市の花である「藤」を使うこと、美観地区の生子壁や倉敷格子をアレンジしたらどうかと考えた結果、生子壁に馬の絵文字をあしらい、バッグとして持ちやすいモノトーンで仕上げたらどうか、といった企画にまとまりました。

その間、牧野さん・協会のスタッフ・デザイナー・タケヤリの担当者と何度もやり取りを交わしました。

タケヤリの担当者からは、「女性が好むバッグの形を取り入れた方がいい」、「1アイテムだけでなく、2~3アイテムを出した方がいい」とアドバイスをいただいたり、デザイナーからは、牧野さんが描いた「藤の花」、「馬の絵文字」、「生子壁や倉敷格子」などから様々なデザイン案を出してもらい、牧野さん自身からも、何枚もデザイン案を提出してもらいました。

そうして試行錯誤の結果、今回の素敵なコラボレーション商品が誕生することとなりました。そしてこのコラボレーションによる商品化のチャレンジが牧野さんが従来、目指していた「描くことによる社会への参加」をしているという実感を、改めてはっきりと確認することができた出来事となりました。

 

牧野文幸さんは、2017年6月4日体調が急変し、志半ばにして親しい人々に見送られながら旅立ちました。

 

牧野文幸さんのことば

「生きること」と「描くこと 」 絵画というものに、これといった興味があるわけでもなかった私は、何もしていないよりは良いだろうとの思いから「描く」ことを始めた。

初めは「ワラにもすがる」に似た気持ちだったかもしれない。

しかし、「描くこと」が「ワラ」などではなく、「命綱」であるということに気付くのに、時間はそれほど必要ありませんでした。

「死んでいないだけ」の、人生の浪費ともいえる日々を、「生きている」と実感できるものへと一気に引き上げてくれたのです。

以来、「描くこと」が、「生きること」の意味や価値を与え続けてくれています。

今日まで「生きること」を続けて来れたのは、そして、「生きること」を続けていくためには、支えてくれている大勢の人の力無くしては成しえないものであるということを決して忘れません。

謙虚さを保ち、自身にできる努力をしっかりと行っていくことが、全ての人への感謝に繋がると信じて、「生きること」と「描くこと」を続けて行きたいと思います。

 

 

 

 

私は、このコラボグッツがとっても素敵で気になったので、追悼展見に行って来ました。

すごく素敵な作品で圧倒されました。

会場では、作品一つ一つを丁寧に説明してくれる方がいて、とてもよかったです。

 

「生きるよろこび」を読んで、私は毎日なんとなく当り前のように生きていたけど、「生きてきた」ことの「記憶」と「証」を創り出したいと思いました。

 

 

【画家のアトリエ】牧野 文幸「生きるよろこび」を紹介してプレゼントをもらおう♪ ←参加中

口と足で描く芸術家協会

口と足で描く芸術家協会 ネットショップ

画家のアトリエ 牧野 文幸【生きるよろこび】

画家の一言2018春夏