に、到着です。お降りの方は、お忘れ物の無いようご注意ください』

半ば手放しかけた意識の中で、俺はバスのアナウンスを聞いた。
なんだ、まだ降りるバス停じゃない。
息を吐き、迫り来る眠気のままに目を閉じた。
ゆっくりと意識が現実から剥離していく。
もうイヤホンから流れる音楽も、ほとんど耳に入っていない。
降りる直前まで寝よう。
大丈夫だ、後しばらくは大丈夫なはず。
でも……どこで降りるんだったっけ?
俺は……?


  コトコト、コトコトと、噴き上がる蒸気が鍋の蓋を揺らす。
気付くと俺は、見知らぬ部屋にいた。
小さな木の部屋だった。
当然ながら、一切の色がない。
この世界はモノトーンだ。色なんてない。
そう、これは確かに普通のことなのだ。
コトコトと鍋の中で煮えているのは、カレーだ。
カレーの香りがする。
そうか、今日の夕飯はカレーか。
そういや最近食ってなかったよな、カレー。
ゆっくりと頭の中で『カレー』という言葉を反芻しながら、何気なく外に出た。

外の世界にも色はない。
明暗すらない。
今が明るい夜なのか暗い昼なのか、どの季節なのかもわからない。
真四角の公園、ただ一本だけ佇む電灯、そして盛り上がった砂の山。
砂を手のひらいっぱいにすくって、さらさらと落とす。
さらさら、さらさらと繰り返すうちに、急に家に帰りたくなった。
どうしたんだろう?
家はすぐそこなのに。
見渡すと、電灯に照らされた公園の外は全て深い黒に塗り潰され、轟々と濁流のような音を立てていた。
首の長いヤギや三つ目の巨大なキリン、長い体毛を揺らす六本角のバイソンたちが公園の外を闊歩している。
ばけものどもはただ歩いているだけでこちらを見向きもしなかったが、それでも恐ろしい存在であることは確かだった。
やつらの間をかいくぐって、家に帰らなければ。
ぐっ、と砂を強く握りしめる。
見えていない家の中のカレーだけが、色を取り戻した。



  御乗車、ありがとうございました。次は  

イヤホンから絶えず流れている音楽を跳ね除けて、バスのアナウンスが耳に飛び込んできた。
次、降りるとこだな。
ポケットから定期券を取り出しながら、俺はふと窓の外を見やった。
晴れてもいないが降ってきそうもない。
ただ白い雲が空を隙間なく覆っているだけだ。
しかしこのはっきりしない空模様が、ひどく自分の心を落ち着かせる。
バスを降り、家路を歩く。
すれ違う車のナンバーを無意味に足しながら。
信号待ちの交差点で、ふと俺の頭にとある光景が浮かんだ。
いつもと変わらない我が家のキッチンで、コトコトと音を立てる鍋。
今日の夕飯がもしカレーだったら、財布の中の小銭を全部貯金箱に入れてしまおう。
誰に言うわけでもない決意に頷き、俺はただ家路を歩いた。



Fin.

著者:荒川稔久

※重度のネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。



久しぶりの読書レビューはこちら。
講談社キャラクター文庫001『小説 仮面ライダークウガ』
著者は荒川稔久氏。主にスーパー戦隊シリーズの脚本や、主題歌の作詞を手掛ける。
もちろん『仮面ライダークウガ』のメインライターでもある。

『仮面ライダークウガ』といえば、
平成仮面ライダーシリーズ第一弾(よく間違われるが『平成仮面ライダーシリーズ』の第一弾であって、平成最初の仮面ライダーではない)。
独自の言語や価値観を持つ怪人たちの恐怖、特殊能力を持つ怪人による怪奇殺人事件という異常事態に翻弄されながらも立ち向かうリアルな警察の描写、今まではごつい男性が多かった仮面ライダーに爽やか系イケメンのオダギリジョーを抜擢してイケメンヒーローブームの走りとなった事実など、従来の仮面ライダーシリーズとは一線を画した名作である。
特に怪人たちの殺人描写は結構マジで恐ろしく、トラウマになっている人も多いことだろう。

最終回で五代雄介=仮面ライダークウガは、『究極の戦士』アルティメットフォームの制御に成功。吹き荒ぶ吹雪の中、『未確認生命体第零号』グロンギ族の王 ン・ダグバ・ゼバとの決戦に挑む。
死闘を制した五代は、仲間たちの前から姿を消した……。
そんなTVシリーズの十三年後(リアル時間と同じ)から物語が始まる。

主人公は五代雄介・・・ではなく、TVシリーズで五代とナイスコンビネーションを見せた刑事・一条薫。
同期の仲間たちは年齢相応に出世しているが、一条は現場が好きらしく、未だに前線で駆け回っている。

第零号を倒したことにより、全滅したはずのグロンギ族。
しかしクウガとダグバの激闘から十三年後、腹部を抉り取られた死体が発見される。
この殺害方法はグロンギだ。調査を進めるうちに疑惑が確信へと変わる。
前後してネットでは、『未確認生命体第二号』・・・白いクウガ=グローイングフォームの目撃証言が。
五代雄介が帰ってきたのか・・・?
一条は十三年前、共にグロンギと戦った仲間たちの力を借り、蘇ったグロンギを追っていく。
そしてついに、クウガが一条の前に――。

あらすじはこんな感じ。

一周読んだ感想としては、
クウガの後日談というよりも、グロンギが登場する文庫一冊分の中編としてうまくまとまっているなーと。
TVシリーズの登場人物のその後が見事に描かれていて、特に一条、警察ファンは必見。
クウガ自身の戦闘シーンは少なく、しかもものすごくあっさり。
今回活動するクウガは五代雄介ではなく、TVシリーズに登場した『とある人物』なので、
仕方ないといえば仕方ないか。
クウガの戦闘はもともと華がないので、文章にしてみたらこんなもんな気もする。

突っ込みどころ満載なのはグロンギ勢。

そもそもTVシリーズに登場する怪人と、公式設定で警察やクウガに倒されたことになっている怪人以外のグロンギはみんなダグバに虐殺されたことになっているので、十三年後に突然復活するのはちょっと無理があった。
何とかバルバ(バラのタトゥの女)を使ってフォローしているけど、やっぱりちょっと強引な感じが否めない。

今作で新規登場するグロンギ怪人はみんなそれぞれ人間社会に完全に溶け込んでおり、
各々の立場を利用してゲゲル(殺人ゲーム)を行う。
・・・のだけど、こいつらの目的が「暇つぶし」以外の何物でもなくてかなり残念というかなんというか。
それならディケイドの『クウガの世界』に登場する、集団ゲゲルの方が目的が明確(王であるン・ガミオ・ゼダを復活させるため)でおもしろい。

そしてこいつら、スマホの特殊不可視アプリを使って連絡を取り合っている
アイドルだの政治家だのとして活動してるんだから旧グロンギみたいに頻繁に会うのは難しいだろうけど、その技術はいったいどこから得たんだ?

大人気アイドルとして活躍するグロンギ『ゲラグ』が登場するが、これはなかなか面白かった。
某アイドルの握手拳的なシステムへの批判を軽く挟みつつ、
そのシステムをうまく使って人を殺す。
ややこしいルールと変化させた触手で刺すという手法はTVシリーズに登場したゴ・ベミウ・ギのものを参考に・・・というかまんま流用した感じ。
もうちょっとルールがわかりやすければなーと思わなくはないが、その複雑さもまたクウガ終盤の魅力の一つであったことは確かである。
ライブ会場の西武ドームで正体を見破ったクウガと戦闘に突入するが、その最中、ゲラグの能力により突如西武ドームが大崩落
明らかにいいところで一条さんを気絶させるための罠です。
つーかそんな恐ろしい能力があるくせに人を刺して麻痺させて殺すってどういうことなの?

しかし、ゲラグさんはまだいい方なのだ。
問題はラスボス的ポジションのライオン種怪人 ゴ・ライオ・ダ。
殺害方法は、なんと市販の栄養ドリンク(日本中で大人気で、飲んでない人間の方が少ないほどらしい)の中に特殊な成分を混入し、
その成分を一斉に猛毒に変移させることで、大量同時殺人を完成させるというもの。
はっきり言ってしまうと、無駄にスケールを拡大しすぎ。
バルバに「金の黒のクウガで勝てるかどうかだ」と言わせてしまった以上、ダグバに匹敵するほどの規模の殺人が必要だったんだろうけど、
いくらなんでも一気に跳ね上がりすぎだ。
手法の元ネタは、ご存じトラウマメーカーことゴ・ジャラジ・ダ。
こいつは子供の頭蓋骨に埋め込んだ微細なトゲを巨大な針に変化させることで殺すというとんでもないやつだったが、
手法が似すぎている。
ゴ集団の怪人として殺人方法が被ってるのは許されるのか?

最終決戦では怒りと憎しみに支配された未熟なクウガが、グローイングフォームからアルティメットフォームへと変異し暴走する。
決戦直前にクウガを止めきれなかった一条は、急いで現場に駆けつける。
暴走するアルティメットフォーム。
出番だ一条!
暴走する黒い戦士を止めたのは・・・
赤いクウガ=五代雄介
まさかのこのタイミングで、しかもクウガとして復活して登場。
どうせなら首尾一貫して最後まで出さないでほしかったんだけどなぁ。
十三年のブランクがある割には全開で、次々フォームチェンジしながら戦う五代クウガ。
どう考えてもTVシリーズより強い。ブランクとは何だったのか。
何とかアルティメットクウガの暴走を抑えた五代クウガは、ほったらかしにされていたライオと対決。
しかしライオは強い。どうする五代クウガ!
そこへ一条が対グロンギ用の特殊ライフル弾を撃ち込み、ライオの上半身を吹き飛ばして戦闘終了。
なんだか初代ウルトラマンの最終回みたいな終わり方だなぁ。

突っ込みどころは山ほどあるけど、クウガファンなら読んでみて損はないと思う。
ところどころ著者の趣味が反映されてるのも魅力で、
自分の趣味をこんなにぶっ込んでいいものなのか!という物書き視点での面白さも味わえる。
ちょっと修正を入れればそのまま映像化もできそうな感じではある。
アイドル役はももクロの誰かだと面白いな。
もちろん最大のハードルはオダギリジョーの出演だろうけど・・・。
例えば目の前に、何も書かれていない真っ白な紙があるとする。
その紙は限りなく自由で、
あらゆる世界の可能性が秘められている。
たった一枚の白紙から紡ぎ出された物語は、驚くほど多彩な色で人の心に溶けこんでいく。

例えば目の前に、無機質な罫線だけが引かれたノートがあるとする。
全くの白紙よりは幾分か狭まった世界だけれど、
それでも無限に近い可能性はそのままだ。

例えば、全てが「ゼロ」の世界があるとする。
それは果たして、白紙のように自由なのか?
それとも、「ゼロ」として完成しているものなのか?

人の心は大いなる余白を残した一枚の紙である、という。
ならば、人の心の大部分は限りなく自由であるはずだ。

  ここで、ふと考える。
我々の心は果たして自由か?
自由だと思い込んでいるだけで、
本当は「ゼロ」という枷に縛られているのではないか?と。

例えば自分の心に問うてみるとする。
自分は自由であるのか、と。
その問いに答えるのは、当然ながら自分である。

自分とは、自由とは、「ゼロ」とは、白紙とは・・・。
様々な自問自答が繰り返されるが、恐らく求める答えは出ないだろう。

例えばこの記事を最後まで読み終わりひとり悶々とした後、
白紙を眺めてみるとする。
自分でもこの紙から何かを生み出せるのではないか?
そう思えるということは、そうしたいと思えるということは。
まだ心が「ゼロ」で埋まらず、自由であるという証と言えるのかもしれない。