♪ 「戦友」で知られる真下飛泉の「盲啞教育」小論 | 京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史

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視覚障害教育の歴史を研究しています。京都盲唖院、古河太四郎、遠山憲美、鳥居嘉三郎、石川倉次、好本督、鳥居篤治郎、小野兼次郎、斎藤百合、エロシェンコ、楽善会、雨宮中平、点字

真下飛泉が「盲啞教育」の発展を願う短文を書いていたことはあまり知られていません。 ↓

  京都府教育会創立二十五年記念号(京都府教育会雑誌号外)明治三十八年八月十五日

  京都府の特種教育         真下飛泉 (抄出)

京都市立盲啞院は京都市上京区釜座椹木町下る処に在り。明治十一

年五月廿四日を以て創立せらる。是れ日本に於て未だ嘗て無か

しもの、日本最初盲啞院の名誉を荷へる所以也。(中略)

終りに臨みて聊か本院の希望なるものを紹介せん、第一は盲啞

の教授を分離して訓盲学校。聾啞学校の二校とすること也。夫れ

視覚を欠損して聴覚等によるものと、聴覚を失ふて視覚に憑る

者とは絶対的反対の地位に在るものにして、こを同一学校に收

容し教授するは、少しも其理由なきのみならず、硏究の方面に於

ても設備の方面に於ても全然其方途を異にせざるべからず。之

を同一校に在らしむるが如きは実に非理の極といふべし、一日

も早く分離せしめざるべからず。第二は盲啞両校に各幼稚園を

設くる事也。普通の児童は家庭に於て多少の教育を受け得ると

雖も、盲啞は独り学校教育を受くるの外狭義的に云へば他に教

育せらるゝことなし、故に学齢に達せざる以前に在りて、盲啞に

家庭的教育と予備的教育とを施す所の幼稚園を設くることは教

育の結果に大なる関係を及ぼすものなり。其他給費生を置きて

学資乏しき盲啞生を就学せしむること也、更に高等の学科を増

設することや、聾唖卒業生保護会を設くる事等これ也。

以上述べたるが如く、我府に於ては既に不良少年の感化的教育

も其緖につき、盲啞の教育に至つては率先して他の範となりつ

つあるの有様なれば、此外白痴教育を施す所等欠如せりと雖も

決して他府県に劣る所なしと信じて疑はざるなり。