31 連載9・『視覚障害者と戦争』 航空あんま | 京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史

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視覚障害教育の歴史を研究しています。京都盲唖院、古河太四郎、遠山憲美、鳥居嘉三郎、石川倉次、好本督、鳥居篤治郎、小野兼次郎、斎藤百合、エロシェンコ、楽善会、雨宮中平、点字

  (3)航空あんま

 これには軍への訪問奉仕と軍属としての勤務と2つのタイプがある。前者には、開業している
三療家が爛泪奪機璽玄N妬鷙饌癸苅院豊瓩魴訐して出かけたり、盲学校の生徒が動員されて参
加したりしている。後者については、牾し概士甜雖瓩有名である。

 現在、京都府立盲学校で社会科を教えておられる竹内勝美さんも牾し概士甜雖瓩琉貎佑任△
た42)。「海軍でマッサージ師を募集しているという話を聞いた。俺達でも国の役に立つ仕事
が出来るんだと大喜びして、早速、志願の手続きをとった。面接が和歌山の県庁であるというの
で(長崎から-筆者注)はるばる出掛けて行った。これに合格して軍属としての一歩を踏み出し
た。」東京・水道橋のキリスト教会が訓練所で、そこには50名ほどの仲間がいた。訓練は落下
傘の降下訓練から始まり、3ヵ月後に各々の任地へ遣られた。竹内さんは横須賀航空隊の医務課
に勤めることになったが、外地に派遣された仲間には途中で船が沈められて死んだ人も多かった。
のちには部隊とともに青森へ移動して「老兵を治療してのんびりしていた」が、それまでは空襲
にせめたてられたし、「何も悪いことはしていなくても殴られ」る軍隊生活だったという。

 『点字毎日43)』に「海軍技療手の歌」が載っていた。四番、五番の歌詞を紹介しておこう。

  四
 戦ひ終へて帰り来る 嗚呼海鷲よ安かれと
 真心こめし技療もて 微笑みかはす顔と顔
 明日の戦果を祈らまし

  五
 敵を倒してのちにやむ 海国男児の血をうけて
 尽忠報国誓ひてぞ 海軍技療手今ぞ起つ
 嗚呼光栄の技療手や

 なかにはほんとうにひどい例もある。「一九四三年、私たちマッサージ師は何等事前の連絡も
なく、突然、警察から田中(現、柏市)陸軍飛行場で働くことを命じられました。それから一九
四四年いっぱい、私たち野田のマッサージ師は松戸、柏、木下の各支部の人々と交代で毎日パイ
ロットの体をマッサージしました。44)」「嗚呼光栄の技療手や」などとよく言えたものである。