お金に対する印象が
いわゆるお金のブロックになってることがある。
わたしは
お金欲しい!もっと稼げるようになりたい!
と思いながらも、
お金に対する優先度が自分の中で高くないことは
何となくわかっていました。
なぜなら、
お金のブロックをはずすと稼げるようになる、
などとたびたび耳にしてはいても
自分のお金のブロックについて掘り下げて考えたりせず、
ずっとよくわからないまま放置してきたから
でも先日、自分のお金に対するイメージがわかりました
わたしは
お金はつめたい
と思っていました。
触ったら冷たいよねーっていう
温度の話ではもちろんなくて笑、
これさえ渡しておけばいい、という
納得していない気持ちを鎮めるための道具
だと思っており、
例えば
口止め料
手切れ金
慰謝料
示談金
和解金 などのイメージでした
お金に対して、
誰かに感謝された分もらえる温かいもの♡
というイメージは
皆無!
お金をもらったときは
「やったー!これで〇〇を買おう♪」
と喜ぶ一方で、
「どうせこれさえ渡しておけば何も言ってこないと思っているんでしょ」
と思っている自分もいました。
この気持ちは特に
休職して退職した前職で
強く現れていました。
給料は色々我慢させられた代償だと思っていたし
(給料=「文句言うなよ」代)
ボーナスをもらっても嬉しい気持ちは束の間で
「これさえ渡しておけば会社辞めないとでも思ってんのかな」
と思っていました
そのように考えてしまうのは、
やはり生育環境だと思います。
うちは、ごくごく一般的な経済環境の家庭です。
高校は好きなところ行きなさい。
大学は好きなところ行きなさい。
お金は出すから
そう言われたことが強く印象に残っています。
「うちは兄弟がいるから私立は無理」
「大学は行きたいけど奨学金使わなきゃ無理」
色々な事情があってそのような制限がある人に比べれば恵まれているのは確かですが、
わたしには
親の役割としてお金は出している。
だから文句言うな。
と言われた気がする行為でした。
わたしはもっと構ってほしかったんです。
この高校がいいんじゃない?
この大学はどう?
とか、
一緒に考えたり相談したりしたかったんです。
もちろん、わたしと正反対の悩みの人がいることもわかってはいます。
過保護で色々口出ししてきてうざい、
というのもわかりますが
無い物ねだりでわたしには憧れでした。
お金だけ出してくれて選択は任せてくれるなんて1番いいじゃん、理想の親じゃん、と思われるかもしれないし、
一緒に考えて欲しいなんて幼稚だ、と思われるかもしれません。
けど、
相談したかったし、もっと構って欲しかった。
もやもやはしていたけど
ここまではっきり自覚して言語化はできていなかったので、
当時の自分にそんなことが言えるはずありませんでした。
わたしに関わらない代わりにお金は出す
というスタンスが
情緒的ネグレクトとそっくりだと思いました
「やることやってるんだから文句ないでしょ」
=お金出して必要な教育は受けさせてるんだからそれ以上求めるな。
母親はわたしが大人になってから
たまにお金をくれることがありました。
5000円とか1万円とかを
ポチ袋のサイズの封筒に入れて
ちょっとしたお菓子などに忍ばせて
くれるときがありました。
「これで美味しいものでも食べてね」
などと書かれています。
20代の頃は、
今更こんなんでわたしの機嫌取りやがって!!
と、
臨時収入ラッキー♪という気持ちよりはるかに
怒りや悲しみ、寂しさが勝っていました。
30代になると「怒り」の気持ちが少し落ち着いてきましたが、寂しさはありました。
お母さん、ありがとうね。
でもわたしはお金よりも
「わたしはずっとさわかの味方だよ」的な言葉をかけられた方が何倍も嬉しいし
安心できるんだけどな。。。
(そう思って何回か泣いた)
贅沢なことを言っているのかもしれないし、
親からお金をもらってるなんて…と思う人もいるかもしれない。
つべこべ言わずに「ラッキー!」と受け取れないのは
お金を
納得していない気持ちを鎮めるための道具
だと思っているから。
親からお金をもらっても嬉しくない。
お金を稼いでも嬉しくない。
(「お前にくれてやる!」ってお札を投げつけられてるイメージもあった笑)
お金は、ありがとう♡じゃなく
なんか申し訳なく思われて渡されるもの。
相手が
後ろめたい気持ちから逃れたくて渡すもの。
これで我慢してください、と思って渡されているもの。
だから
受け取ったら我慢して納得しないといけないもの。
…こんなんじゃ、
お金いらない!と受け取り拒否しているようなものだ
あー、最悪
あー、気づいちゃった
気づいちゃったので、
変えたいと思います。
(続く)