自分はデキる人なんだ!と
実力以上を自分に期待しないよう
心がけているのですが、
今の自分は大したことないけど、
本当は、何かを継続させて積み上げていくことができる人なんだということを
人生かけて証明してやる!
と思っていたことに気づきました
…これってまだ全然「わたしは本当はデキる人。まだ本気出してないだけ」
って思ってますよね
例えば
世界一周とか〇〇へ行くとか目標を決めたとして、
まず資金はどうやって作る?稼ぐ?集める?
仕事どうする?
お金の勉強も必要?
投資とかする?
海外なら英語できた方がいいよね?
じゃあTOEIC?英会話?
とはいえまずは健康第一。
年齢重ねてもアクティブでいるためには筋トレ?
持久力?ダイエット?
などと
目標を叶えるためにどんどん細分化して
今の自分レベルでできることから始めて
今の自分にできることから一段ずつ積み上げていって
死ぬ前に「わたしは〇〇を成し遂げたぞ!」
と言って人生を終えることを目標にしてはどうだろう?
と考えていたんです。
まぁそれもいいかもしれないけど
一体、何のために何を証明したいのか?
目標を叶えられるわたし
=やっぱわたしってすごいですよね?
が根底にあるのだろう
何が何でも叶えたい目標がないことを焦っているのか?
目標がない=ダメ
と思っているのか?
飽き性で中途半端な自分を×にしてるから、ってのもあると思う。
人に認められたい気持ちもあるけど、
継続させて積み上げて成し遂げた自分を
純粋に見てみたいという気持ちも確かにある。
それなら、
人生をかけて達成するような大きな何かじゃなくても
一日ごとの小さな何かでもいいのでは?
と気づいてしまった
一日ごとに今日はこれをやる!
と決めたことを淡々と達成していけばいいのでは?と。
それすらできないのであれば、
「人生をかけた大きな何か」なんて
ムリに決まってる
わたしは今使っている手帳に
一日3つずつタスクをこなすように
計画を立てていたのですが
全然こなせていない
一日3つなんて少なすぎる、と思っていたのに!
笑
内容が具体的じゃなくて着手しなかったり
これは今日じゃなくてもいいや〜と思って結局やらなかったり
気分じゃない、と単にやめたり笑…
自分のことを知らなさすぎるのかもしれない
と思いました。
自分の好みもわかっていなかったので
そりゃそうか
ちょうど一年前、こんな記事を書きました▼
「わたしはすごいんですよ」と誰かに証明するためではなくて、
見てみたい自分を見るためなら
ひとつずつ登っていくのが楽しそう
段差が急でも踏ん張れそう