書籍1冊分の価値がありました。

 

1991年にすごくはやったトレンディードラマで、そのリメイク版が2020年ごろに出来ているんですね。30年経って、貧しくなっているんです、ドラマの中の風景が。医大生が1991年はスポーツカーに乗っているんだけれども、2020年になったらセダン車と。それから、みんなふだん少なくともカフェバーとか高級レストランとかで飲み食いしていたのが、家飲みとか。住んでいるところがワンルームマンションだったのが、質素なアパートであるとか。それを見た時にハッとしたんですよね。30年経って、貧しくなっていると。我々はこれに責任があるなと。気づかなかったと。

そこでハタと思ったのが「教育」だと。我々がやってきたことの良かった面も、失敗したと思う面も、次の世代、若い世代に正直に伝えていくと。

 

・・・

 

人は、「出来ること」と「好きなこと」が違う。たとえば桑子さんだって、無二の親友のように(私と)ワインを美味しく飲んで、それで「NHKの有力なアナウンサーが今の日本の成長についてどう考えているか」ということを(私が)知ると。私が外国の外交官だったら「こういったことを言っていた、ちょっと踏み込んだ話をした、もしそれが局に知れたりすると非常にマズイ」と、そういうような内容を秘密電報で打っているわけですよね。

そうすると友人になっても友情を装って、実際はそれを利用していると。でもそれは「日本の国家のために必要なんだ」という大義名分があるから出来たので、本当にやりたくない仕事でしたね。しかし、自分がやりたくない仕事の適性がある場合が面倒くさいんです。

 

・・・

 

国家は引っ越せないんですよ。そうすると、そういう国と付き合ってかないといけないと。決してあの人たちがやることを支持しているわけじゃないし、支持できないし、ウクライナ戦争は既存の国際法に反する侵略行為だけども、私はウクライナがロシアを完全に打ち負かして、ウクライナの東部地域やクリミアを回復することは、これは最初の時点から言っているけど不可能だと考えている。そういうロシアとどうやって付き合っていくのかということを、やはり考えなければいけない。

 

・・・

 

その1つとしてこの前、習近平さんと会った(時の)戦略的互恵関係というのは、やはり非常に良かったと私は思っています。それから国連演説でも人間の尊厳ということを、価値観・イデオロギーでは世の中の問題を解決できないということを言ったというのも、良かったと思うんですよね。ただ何であの方、国内で自分がそういったようなことをやっているということを、自分の言葉できちんと説明しないんでしょうね。説明すれば国民も理解すると思いますよ。

 

・・・

 

群れを作って「あいつらはトカゲを食べる、だからあいつらはとんでもないやつらだ」と。「あいつらはニンニクを食べる、だからあいつらとんでもないやつらだ」と。放っておくとそういうふうにして、人を排除して自分たちのグループのほうが優越だと思っている、こういう特性があると。それだから常に「ファシズムはいけないものなんだ」「そういうことをしてはいけないんだ」と、こういう教育を続けていかないと、人間はそれをやっちゃう。バイデンさんから見るとプーチンさんは悪魔なんです。プーチンさんから見るとゼレンスキーさんとバイデンさんは悪魔なんです。本当の悪魔のように見えるわけなんです。そういう価値観を持っている人たちの論理を進めてくと、世界は破滅しちゃうんですよ。

 

・・・

 

人間には優勝欲、要するにマウントしてくという欲望がある。人は、こういうような形での競争に入っていって、人と人がばらばらになって、自分の方が相手より偉いんだと、勝っているんだと、こういうふうになってしまうことがあると。だから彼は、社会を強化しないといけない、一種の社会主義が必要なんだ、ということを言っているわけなんです。人間が群れをつくる動物だと。群れが固まっちゃうと、ほかの群れを排除していくというのは、群れつくる動物である以上、どうしても出てくると。

 

ヨーロッパの列強がアジア諸国を植民地化した中で、日本とタイは植民地にならなかった数少ない国ですよね。でも日本は、この植民地支配を打倒しようと思って、それで逆に、基礎体力をつけるためには植民地を持たないといけないという形で、アジア諸国に侵略してしまった。ある意味では善意でやった帝国主義だから歩留まりがなかったんですね。アメリカやフランスは悪事を働いていると思っていましたから、適宜、歩留まりがあったわけですよね。


そういうことを考えて、戦後の日本というのは「小さく縮こまっていれば大丈夫だ」ということになったんだけれども、今アメリカの力も弱っていて、ヨーロッパの力も弱っていて、グローバル・サウスの力が強くなって、ロシアも中国も自己主張を強めている。しかも軍事力を背景に自分の主張を展開してもいいという動きが世界的に広まっている中において、日本がかつて、自分たちがそういう道で破滅したということを踏まえた上で、平和のイニシアチブをとる中心的な国になると。

 

 

・・・

 

「佐藤さん、テレビに出ないほうがいい。実は私は、テレビと書籍の両方をやろうと思ったんだけど、結局できなかった。テレビという媒体は非常に重要な資質があって、毎回ゼロからスタートする。前回に何を話したか、何を放送したかということにとらわれずに、毎回ゼロから視聴者に向かっていく。これはやはり特別の才能(が必要)で、これは、積み重ねで書いていく作家の仕事とぶつかっちゃうんだ」と。


それからあと、「作家になりたての頃はテレビからいろいろな声が来るんだけども、テレビの消費に耐えられる人というのは、自分が見ている中でも100人に1人、いや、1000人に1人かもしれない」と。

 

・・・

 

たとえば、けしからんことですよ、派閥のパーティー券がああいうふうに扱われているのは。しかもね、率直に言って額がそんなに大きくないでしょう、一人ひとりにすると。大きな役人の買収とか、そういったことをしているように思えないんですよ。ひたすら、だらしないの。だからきちんと記帳もしてないし、いくらもらったか、それからいくら使ったかわからないと。そういう小さいところでだらしない政治家たちが、大きな政治を出来ると思います?だからすごく危機的だと思うの。


あともう1つ、今の自公体制が倒れちゃった場合。以前の自公政権が倒れた時、野党の受け皿があったでしょう?民主党政権が倒れた時も自公の受け皿があったでしょう?今、野党側に受け皿があると思えない。世界で戦争が起きて、紛争が起きて、緊張が増して、日本の経済だってなかなか大変な時に大混乱が起きるということでいいんだろうかと。


しかも(パーティー券問題のニュースを)「関係筋」という形で新聞もテレビも報じていますよね。実は、村木厚子さん[7]の事件や、小沢一郎さんが無罪になった後というのは、「検察側関係者」もしくは「検察側関係筋」「弁護側関係筋」という形で(メディア側が表現を)分けていたんですね。これが再び「関係筋」になった。あまり良くないと思っているんです。どうしてかと言うと、検察から(捜査情報が)流れているのは間違いないですよね。ところが検察官は公務員です。国家公務員法100条の守秘義務がかかるわけです。すなわち捜査情報というのは守秘義務を漏洩しているわけですよね。それが露見するのを軽減するために「検察筋」とメディアは言わないわけですよ。


パーティー券がおかしな政治家を擁護しているわけじゃないですよ。しかし、民主的な手続きによって政治家は選ばれているわけですよね。検察官や官僚は資格試験で選ばれていて、国民の直接の審判を受けてない。そういう人たちが違法なリークという方法で「風」を作って政治家を摘発していくという、この方法が民主主義になじむのかと非常に思うんですね。これはなかなかテレビでの放映は難しいと思いますけれども、いま新聞には書いています。

 

・・・

 

情報の業界では「顔のない男」というのが、一番の誉め言葉なんです。例えば、昔の東ドイツのシュタージ[13]の長官だったヴォルフ[14]という人は、長い間、誰も彼の顔写真を入手できなかったんです。ですから顔を知られないことが非常に重要なので、極力写真には入らない、レセプションには出ないと。(自分が)クレムリン[15]の中枢に食い込むようになった1989年ぐらいから極力写真に写らず、写真を残さないようにずっと努力し続けてきたわけなんです。

 

・・・

 

1879年にいわゆる琉球処分[36]。沖縄の廃藩置県が行われるまでは琉球藩という名前ですが琉球国があったわけですよね。この琉球国というのは1854年には琉米修好条約。1855年には琉仏修好条約。1859年には琉蘭修好条約という、当時の帝国主義列強3国から国際法の主体として認められているわけです。こういう自分たちの記憶がある。