横浜中華街の えびす温泉のサウナのなかで読んでいて、なるほど。と。
人生後半において、多くの人が過剰に縛られているものがあります。それが「他者の期待」です。
周囲からどう見られているのか、自分の仕事は社会の役に立っているのか、もっと価値のあることをすべきではないか
こうした考え方は一見す ると真面目な姿勢に見えます。
しかし実際には思考のためのエネルギーを不必要に消耗させ、心身をすり減らすノイズにすぎません。
私が強調したいのは、「他者の期待」を意識的に切り捨てる技術です。
そもそも 冷静に考えれば、他者はそれほど「私」に期待していません。
人はそれぞれ自分の問題で手一杯であり、他人の人生を継続的に評価し続ける余裕などないのです。
それにもかかわらず、人間は過剰に他者の目を気にし、自分の行動を制限してし まう。この意識構造そのものが非合理です。
では、自分の仕事の価値はどのように判断すべきでしょうか。私は、極めて単純な基準でよいと考えています。
それは「仕事が続いている」という事実です。資本主義社会において、無価値な仕事が長期間存続することはありません。
どのような 仕事であっても、賃金が発生し続けているということは、その仕事が社会の中で一 定の役割を果たしていることを意味します。したがって、自分の仕事に社会的価値 があるかどうかを過剰に悩む必要はありません。
さらに言えば、「社会貢献とは何か」という問いそのものを見直す必要があります。 多くの人は、ボランティア活動や公益性の高い仕事を社会貢献と考えがちです。 かし、この発想は必ずしも現実的ではありません。
私は、資本主義社会における最大の社会貢献は「納税」であると考えています。所得税、住民税、法人税。 これら を継続的に支払うことによって、近代国家は維持されています。逆に言えば、納税しているという事実だけで、その人はすでに社会に対して十分な責任を果たしているのです。
この視点に立つと、評価軸は大きく変わります。自分の仕事が「意義あるものかどうか」ではなく、「納税を通じて社会に接続しているかどうか」が基準となる。こ の基準は極めて明確であり、他人の評価に左右されません。したがって、人の目を 過剰に気にする必要もなくなります。
また、この考え方は弱い立場にある人にとっても現実的です。体調を崩し、生活保護や納税の免除を受ける場合、それは社会に「世話になっている」状態です。 しかし、それは否定されるべきものではありません。回復したときに再び納税すれば よいだけのことです。この循環によって社会は成り立っています。権利と義務が相 互に支え合う構造こそが、近代社会の基盤です。
私は、他者の期待に応え続ける必要はないと考えています。自分が納税している という事実に基づき、静かに胸を張って生きればよい。この単純な事実に立つことで、無駄な不安や自己否定から解放されます。人生後半において重要なのは、評価 を他人に求めることではなく、持続可能な形で社会と接続していることなのです。



