本日もご訪問くださり
ありがとうございます
昨日のブログで
人生は自動運転だよ〜
なんてお話をしたんですけど
起こることが全て“必然”なのだから
怖がることはないんですよね
だけど
「起こること」は
自分にとって
“必要“
だから起こるので
起こった出来事から
「自分が何を感じるか?」
という事にしっかりと向き合うと
「感情の器」が大きくなって
より人生が彩り豊かに
感じられるのだなぁ、、、
って
最近やっと気付いてきてね(笑)
「悲しい」とか
「悔しい」とか
いわゆる
“ネガティブ”な感情を感じるのって
あんまり楽しくないじゃないですか?(笑)
しかも、「自分のみじめさ」を感じるって
屈辱的、、、
だから
無意識のうちに
あまり感じないように
してたんだなって、、、
本当は悲しかった、、、
本当は悔しかった、、、
だけど、
自分の弱さを感じたくないから
それを封印して
何なら、「怒り」に
変換しちゃったりして
あ、あと
無理やり「ポジティブ変換」もしてた
だけどね
私たちはもともと「中庸」なので
“ネガティブを感じれる分量“と同じだけ
“ポジティブ“を感じられるように
なっているみたいで、、、
「空腹は最大のスパイス」っていう
あの原理と一緒です
お腹が減れば減るほど
美味しく感じられる、、、
より深いネガティブを
感じられれば感じられるほど
ポジティブを受け取れる器が
大きくなる
器を広げても
広げなくても
どっちでもいいんだけど
せっかく与えられてる
「光」「豊かさ」「喜び」を
取りこぼして生きてるのって
なんか勿体無い気がして、、、
私は母がもう他界しているんですけど
母が亡くなった時に
悲しかったんだけど
その悲しみを感じ切ることが
多分怖くて
あんまり感じないように
逃げていました
母とよく行った場所に行くのも
思い出すから嫌で、、、
向き合うことから
逃げていました
だけど
「もうお母さんは
この世にはいないんだ」って
ちゃんと受け取ると
抑えていた悲しみが
どんどん溢れてくると同時に
「ただ存在してくれていた事への感謝」
が溢れてきて
受け取っていなかった
「母の愛」を
やっと受け取れたような気がしています
人の感情って
ほんと
玉ねぎみたいに
何層にもなって
いるものですね
なので
「本音」ってなかなか出て来ないけど
根気よく
1枚ずつ剥いていきましょ
最後までお読みくださり
ありがとうございました