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密教僧のブログ

幸せになる人間と不幸になる人間は何が違うのか。目に見えない世界の法則を密教僧が解き明かします。

 

世の中の現象には必ず陰と陽があります。幸運体質の人は、陰ではなく、陽の部分にいつも注目する習慣をもっています。

 

 

不幸体質の人は、たとえば、5品のコース料理が出され、そのうち1品が自分の嫌いなものであると「高いお金を払ったのに損をした。不愉快だ」と考えます。5品のうち1品、嫌いなものが出ただけでも、その日一日すべてを否定するくらい「陰」の部分を拡大します。

 

クレームを入れたり、陰口をいう人もいるでしょう。

不幸体質な人は、人間関係などすべてにおいて「陰」の部分しか見ないのであります。

 

幸運体質の人は逆であります。

 

5品のコース料理のうち、たとえ4品が嫌いだったとしても、たった1品の好きな料理があったとすると、その1品に注目して「美味しかった、楽しかった、幸せな一日だった」と考えるのです。

 

嫌なこと、苦しいことに目を向けるのではなく、つねに楽しいこと、ワクワクすること、心地よいことに目を向けるクセをつけると、いつも満足して、幸せな気分でいられるのです。

 

 

今、あることが幸せ。「このままでも幸せ」そう思えたならば、幸運体質といえます。そして、そのような人には、自然と幸せなことが次々とやってくることになるのです。幸せな人も周辺に集まり、さらに幸せの和が広がっていきます。

 

また、幸運体質の人は、不幸体質の人の陰の思考や言葉に同調する事はありません。

 

不幸体質の人は、常に陰に目を向け、そして人の悪口や嘘ばかりを吐き、自分の人生を恨み、心が満たされないのであります。似たような不幸な人も周辺に集まりますから、様々なトラブルや事件に巻き込まれる確率も非常に高くなります。

 

 

また、不幸体質の人は、常に幸せになりたいと願い続けています。

 

 

幸せになりたいと常に思っている事は、今不幸であると常に暗示をかけている事になるのです。根本的に心を変えなければ、不幸の連鎖に見舞われ、哀れな人生を送る事になるのです。

 

 

 

 

 

 

もうひとつ不幸体質の人の特徴を書いておきます。

 

 

 

 

 

 

 

孤独で暇というのが特徴であります。

 

 

 

ジョージ・バーナド・ショーは、「惨めな気持ちになる一番の秘訣は、幸福か不幸かを考える暇を持つことである。」と言っています。暇をもてあます人生は惨めで哀れであります。

 

 

逆にいうならば、幸福になる一番の秘訣は、何でもいいから時間を忘れるくらい熱中できるものを持つことであります。

 

 

不幸体質の人は、歪んが心故に、何をしてもうまくいかない、そして人から好かれず孤独なのです。当然、暇が多いので陰の思考をし続けるのです。

 

 

 

 

 

 

 

最後にジョージ・バーナード・ショーの名言を書いておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

話す言葉によって、その人の価値は決まる。

 

 

 

自分がこうなってしまったのは、自分を取り巻く環境が悪かったからだと人は言う。だが環境の影響など、何ほどのものではないと私は信じている。世の中で成功している人間は、望む環境を求めて行動し、 見つからなければそれを自ら作りだしている。

 

 

グラスに入っているワインを見て、「ああ、もう半分しか残っていない」と嘆くのが悲観主義者。「お、まだ半分も残っているじゃないか」と喜ぶのが楽観主義者である。

 

 

高潔にして有意義な人生とは、 無為な人生などではなく、失敗に満ちた人生である。

 

 

人間の第一の義務は、貧困と縁を切ることだ。

 

 

健全な肉体は、健全な精神に宿る。

 

 

情熱なき者は、善人にも悪人にもなれない。

 

 

人間を賢くし人間を偉大にするものは、過去の経験ではなく、 未来に対する期待である。なぜならば、期待をもつ人間は、何歳になっても勉強するからである。

 

 

一つの欲望を持つと、一つの生きる理由を持つことが出来る。

 

 

若い頃、私は10回に9回は失敗することに気づいた。だから、10倍働いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は、不確実性の時代であります。未来に起こることを直感的に読み取ってチャンスをものにするためには、丈夫な身体をつくり身体感覚を鍛えることが絶対条件といえるのです。

 

腰と腹に力がこもると下丹田に力が集まり、食べる力、行動力、継続力、ぶれない精神など、成功に欠かせないさまざまな力が生まれます。

 

 

インドのヨーガでもみぞおちとへその間をマニピュラ・チャクラといって、理性や自信をつかさどり、潜在意識を開花させる大切な場所だと考えられています。

 

 

腰と腹の力が高まると、腰椎を支える仙骨に圧力が加わって、副交感神経のはたらきが活性化されます。すると鎮静ホルモンであるアセチルコリンが分泌され、興奮ホルモンのアドレナリンの分泌を抑制する。つまりは瞑想と同じように、心身のバランスをととのえ、自己実現を果たしやすい状態を生む効果があるのです。

 

 

腰と腹に力を入れれば、おのずと歩き方も変わります。背筋が伸び、胸を張って歩くようになります。猫背で成功者はいないのであります。

 

 

裕福な人は年をとっても腰が曲がらず、歩くスピードも速いものです。これは、腰と腹に力が入っているからであり、腰と腹の力が財運を招いている証なのであります。

 

 

では、稼ぐ力である腰を痛めてギックリ腰になると、みるみるうちに財を失っていくのであります。

 

 


鳩尾を触ってみてください。固い人は要注意。
なぜならば、幸運な人ほど鳩尾がやわらかく、不運な人ほど固いのであります。


うつ病や自律神経が乱れている人も鳩尾付近が凝り固まっているものです。

その固い鳩尾をほぐし、不運を回避し、運がいい状態にするには氣の流れをスムーズにすること、つまり浄化することであります。


氣の流れは健康だけでなく運命も左右します。自分を浄化し、いい運を自然と呼び起こす状態をつくる事が大切なのです。


心やからだの中にたまっている不要なものをはきだし、氣の通る状態にするためには、考え方や心のあり方、そして呼吸が大切なのです。

病気の人のもとからは、あっという間に財が去っていきます。


弘法大師 空海が「経済病むとき人も病む」といったように、経済と健康は相関関係にあります。

貧乏な人は病気になりやすく、社会が不景気になってお金のめぐりが悪くなれば世の中に、どんどん病人が増えていくのであります。


とくに現代では、経済的な格差が顕著に健康の格差となってあらわれます。

豊かな人は、病気の予防や治療にたっぷりとお金をかけることができますが、貧しい人はそれがかなわず、予防できるはずの病気、治せるはずの病気で寿命を縮めてしまいます。


経済的に窮乏しているという状況そのものも、人の心身に悪影響をおよぼします。
会社の資金繰りが悪化すると、経営者はストレスや不安感から胃潰瘍になったり、心筋梗塞を起こしたりすることがめずらしくありません。一般のサラリーマンであっても借金で首が回らなくなったりすると同様の悲劇にみまわれるのであります。


しかし、おおもとをたどれば、それらの状況をつくっているのは、自身の心の働きなのであります。


最近は、異常と思える悲惨で理不尽な事件も多発しており、また、犯罪とまでは言わなくとも、家庭や社会のモラル崩壊は顕著な部分があります。


現代は、精神的格差も大きく広がっています。

精神性の低い者は、経済的に窮乏し、更に心がすさむ。そして、状況の悪化が加速するのであります。

どこかで気がつかなければ負の連鎖を止める事はできません。




人生に対する感謝の深さ、それが、その人の精神性の高さであります。











自分が死んだ時に何人本気で泣いてくれる人がいるでしょうか。


本当に困ったときに助けになる友達はいるでしょうか。


人から感謝される事はあるでしょうか。


運のよい人、成功者というのは、よい人脈が多く、そして、多くの人に感謝され、信用されているのであります。


しかし、運の悪い人というのは、誰からも感謝されず、本当に困ったときに、頼る人が誰もいないか、付き合いのある人がいても真っ先に蜘蛛の子を散らすように消滅する人脈しかないのであります。もともと相手に純粋な関心があって付き合っているわけではないからである。


本当に友達になりたい相手に対しては、迎合したり媚びへつらうことではなく、純粋な関心を寄せることである。 


羽振りが良かった人が、その人間の立場に付随した利用価値がなくなると、人脈は「去る者は日々に疎し」となり、孤独になり、そして孤独死する方もおります。


人の値打ちは、棺の蓋を閉めるときに決まるのであります。


人の値打ちは、死ぬ時どこまで出世していたかで値打ちが決まるという意味ではなく、一人でも、本当に死を悲しんでくれる人がいたならば、その人は立派な人だったと言えるのであります。


社会的つながりや立場で義理や何かの手前、葬儀にたくさん集まる人もいるかもしれない、その中に一人でも本当にその人の死を悲しんでくれる人がいれば立派な人であったに違いないのです。


要するに、人の値打ちは、死んだときの人の地位でもなければ、葬式に集まる人の数でもなく、本当に死を悼み悲しんでくれる人がいるかいないかでその人の値打ちが定まるのであります。一人いれば何人もいるはずなのです。


極端に運の悪い人の中には、妬みが強かったり、嘘で人を陥れようとする醜い心をもつ者もおります。
そのような人間は、生きていても寄ってくる者は、不幸な者ばかりで、まともな人からは相手にもされないのであります。死んでも、腹の中で笑う者はいても、悲しんでくれる者は誰ひとりいないでしょう。


常日頃から、人に感謝される人間であれば、運が悪くなる事はまずありません。そして、困った時に助けてくれる人は、いくらでも現れるのであります。死んだ時は、本気で泣いてくれる人もいくらでいると思います。そして、供養してくれる人もたくさんいるものです。それが、本当の意味での運のいい人、幸せな人なのであります。


偉くなるのではなく、尊い人間になる事を目指したいものであります。






子供の教育費などで、生活が手いっぱいで、おじいちゃんが最近亡くなったが、すぐにお墓を買ってあげることができず、遺骨をしばらく自分の家に置いておかなければならない、という方もいると思います。


もちろん、骨ガメはできるだけ早く土の中に戻してあげるというのが、よい供養ではありますが、亡くなった霊たちは、私たちの生活が今どんな状態にあるかということを、知らないわけではないのです。


毎日、贅沢三昧に生活していながら、お墓はつくってやらない、ということは故人をとても悲しませることであります。


しかし、どうしても子供の教育費などがかかり、故人のお墓をつくることができないのであれば、今、生きるために必要なことを最優先に考えるべきです。


故人は、状態がよくなってくるまで待ってくださるのです。


きちんとした理由と気持ちがあれば、障りをおこす事はないのであります。

幸せになりたいので何かを信仰したい。仏像を購入したい。という相談をたまにうけます。

 

新興宗教に関しては、以前の記事にも書きましたが、

 

 

幸せになるために宗教は必要ないのであります。

 

悪い宗教に縁するとむしろ不幸になります。

 

精神性の低い者が仏像を購入し、拝んでも、全くご利益がないどころか、むしろ低級霊が入り込み不幸になる可能性が高いのです。お経を唱えても何の意味もありません。

 

 

 

幸せになるためには。

 

 


「はい」という素直な心。
「すみません」という反省の心。 
「お陰様で」という謙虚な心。
「私がします」という奉仕の心。 
「ありがとう」という感謝の心。

 

この心があれば、人並みの幸せは得られるでしょう。

 

 

不幸な人をみると、この心が必ず欠如しているのです。

 

心が変われば、必ず運も変わります。

何をしても運が良くならない人は、即ち心に変化が起きていないだけの事であります。

 


松下幸之助さんが、「素直な心」を次のように定義しています。

 

「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心であります。」

 

お互い人間が最も好ましい生き方を実現していくには、それにふさわしい考え方や行動をすることが大切で、その根底になくてはならないものが「素直な心」であるというわけです。

 

 

海外のある国では、日本の「素直」という言葉の意味が理解出来ない。また、素直に謝ることが出来ない人達もいると言います。

 


日本人は、世界的に見ても精神性の高い人種なのであります。

 

 

 

一人の時は素直でも、精神性が異常に低く、地獄の波長の魂をもつ者と関わりが出来たために、本来の自分を見失い、不幸になっていく人も多くおります。

 

 

 

 

人との関わりで人生が大きく狂う事がよくありますので、人との関わりは慎重にしなければならないのです。

 

 

三人寄れば文殊の知恵という諺もございますが、精神性が非常に低く、地獄の魂をもつ者が三人寄れば、不幸を引き寄せる力は強大になり、不幸はどんどん加速し、短期間で見る見るうちに転げ落ちていくのであります。

 

 

 

二ヶ月で流産してしまっても、お腹の中に子供がいた、という事実はかわりません。こんな時は、お線香を三日ほど仏壇の片隅にあげてやって下さい。

 

 

 

よく水子供養は、どこかのお寺でやらなければいけないのでは、と心配する方がありますが、そんな必要はありません。

 

 

水子自身、全く罰のないものです。そして何も分からない赤ちゃんなのです。

 

 

そのため、輪廻転生を迎えるのが非常に早く行われます。

 

水子をつくってしまった、流産した、と神経がおかしくなるほど思い悩む人もいますが、もし気になるようでしたら、一ヶ月ほど、お線香と牛乳を小さな器に入れ、棚の上、タンスの上に水子のため、と供えてあげればそれで水子の霊は納得するのであります。

 

そして、供養なさる時は、「今度は元気な赤ちゃんになってこられるように」と念じてあげて下さい。

 

 

 


離婚した当人同士は、相手側の先祖供養をおこなう必要はありません。ご自身の実家の先祖供養をされれば良いのですが、


子供は、父方、母方の先祖供養をされた方が良いでしょう。

離婚をする事は、様々な理由があるとは思いますが、
ほとんどの場合、色情因縁という過去の因縁によっておこるものであります。
まず、因縁を消滅させるためにも実家の先祖供養をきちんとし、人の為になる事をして徳を積んでいくことが大切なのです。



命日の分からないご先祖様もいると思います。
おばあちゃん、おじいちゃんくらいの命日は、だいたいは知っているが、さらにさかのぼると命日が分からない場合がほとんどでしょう。
このために、日本にはお彼岸とお盆という行事があるわけです。
この日は、命日にご供養されない霊が帰ってくる日と考えましょう。
私たちが、忙しいからと勝手にお祀りをやめてしまっても、霊はきちんと帰ってきているのであります。