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密教僧のブログ

幸せになる人間と不幸になる人間は何が違うのか。目に見えない世界の法則を密教僧が解き明かします。


青磁や白磁は置かない方がよろしいでしょう。不思議と縁起が悪くなってしまうのであります。
外見は豊かそうでも台所は火の車で借金で首のまわらないという人が持っているのです。


その他にも壺というものには縁起の悪いものはありこそすれ、いいというものはあまりありません。


刀は気をつけたほうがよいでしょう。
特に血を吸っている刀は要注意です。


印鑑は身分不相応な立派なものは、かえって幸運を逃がします。
安物の印鑑は良くなろうとして働き、持ち主に金運をもたらします。


大きな庭石をたくさん置く方がおりますが石は生きており

念のこもっている石の場合、そこに住む人に悪運をもたらす事があります。
大変強い影響がありますので、石を置きたければ必ずどこから出た石か調べないといけません。
念のこもった庭石をたくさん置いたために、家族全員が精神的におかしくなったり、家庭崩壊寸前までいった方を多数見ております。

一回でなく何度も現れる。

これは、家庭の中、あなた自身の身の上に何か不幸や変事がある前兆であります。何度も現れ、必死になって事故や不幸を知らせてくれるのです。こうした夢を見た場合、よく注意をして生活しなくてはいけません。


他には、水の中にはいっている夢は、健康を害する警告で先々病気になる可能性があるため、体を気をつけるようにと注意を促しております。


お金を拾ってる夢は、物をなくさないようにとの警告です。物に限らず何かの損をする事、たとえばビジネス上での失敗などにもつながります。


ただし、夢の中に出てきた霊の言葉をそのまま、うのみにする事は危険です。霊界と私たちが住む世界は違いますから、表現方法も自ずと違ってくるのであります。


たとえば、明日、海へ行く予定で眠ったとします。そして霊が、夢の中に現れて「明日は、山へ行ってはだめ」と教えてくれます。海と山では何の関係もありませんから、あなたは海に出かけます。そして事故に遭ったり、物をなくしたりしてしまうのです。


霊は、あなたの事故を防ぐために、霊が知っている山という言葉を「外へ行ってはいけない」という言葉のかわりに使ったのです。こうした夢を見た場合、霊の言った言葉を、できる限りの、他の考えつくものに置き換える事です。そして、霊の教えてくれたとおりに、その日の外出は控えた方がよいのであります。



念数は持っているだけで功徳があるとされ、普通百八の珠からできています。 これは、百八の煩悩を退散・消滅させる功徳があるからだと言われております。


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念数の持ち方


両手の中指にかけます。

浄名珠のある方が左手。

※高野山真言宗は、左手は中指でなく人差し指。

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手を合わせ(金剛合掌)、祈念したならば、静かに念珠を摺合せます。2、3回動かして摺り、最後に少し前に突き出し摺り止めます。


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片手で持つ場合は、二双にし、浄名珠を上にして左手の人差し指にかけ

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握るように念珠を持ちます。

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念珠は、普段は左手に持つのが大原則ですが、置いておく場合は三双にして浄名珠の付いている方を上にして本尊の方へ向けて置くのが習わしであります。

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念珠の取扱いに、正しいも間違いもなく、各宗派により色々違うのであります。一番重要なのは「心」であります。


上記は、真言宗の場合であります。

※同じ真言宗でも宗派、伝授によって多少の違いもあります。


念珠の持ち主が亡くなった時の処理でありますが、どなたかが引き継いで使用されるとよろしいかと思います。使用されなくともありがたいものですから、保存されるとよろしいかと思います。


また、念珠を購入される時の材質ですが、梅や菩提樹あたりがよろしいのではないでしょうか。
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つまらない人は、善行と悪行の区別がつかず、その因果も信じることがない。目の前の利益だけを見ているので、その因果は必ず返ってくる。


他人の利益をはかるように努めていると、苦しみの世界に行く因縁が消える。


人を思いやる気持ちと、人に利益をもたらす行動をすることが全ての根本である。


仏の教えは一言で言えば、自分の利益と他人の利益を一致させることである。


もし自分に適していることにその能力を使うなら、物事は極めてうまくゆく。しかし、自分に向いていない物事に、その能力を使うなら、労多く、益は少ないだろう。






真言宗豊山派 声明 四智梵語 
北大路欣也さん主演 空海DVDの最後の方で唱えられている声明であります。

声明とは
仏をたたえるために、お経や梵語(サンスクリット語)に一定の音符をつけて唱えることを「声明(しょうみょう)」といいます。真言宗では、曼荼羅によって目から仏の世界を伝えようとするように、声明によって耳から仏の世界を体感、直参させ、また、それを唱えることで自ら仏の世界に入ることを目指すのであります。
四智梵語は、真言宗の葬儀や法要などで、理趣経の前に唱えられます。

故人が荼毘に付される時、一緒に愛用していた物を入れる事があります。入れて良いものは燃えるものであります。

一緒に燃えないものは、あの世に持っていく事はできません。


愛用品で燃えないものは、遺影の前に置くとよろしいでしょう。期間は、短い時で四十九日、長く置いてあげる場合は、一年であります。一年も置いてあげますと、霊は非常に納得し大いに満足感を得られるのです。


棺の中に入れてあげられないけれど大切なものであるメガネなどは、荼毘に付した骨ガメの上に置いて一緒に納骨するとか、あるいは墓地のある方でしたら墓地の一部を少し堀り、そこに入れてあげるのもよいでしょう。


大切にされていたものは、形見として持ってあげる事もできます。霊は、遺族が大切に使ってくれることを見守っているものです。






※前回の記事にコメントを頂きましたので書いておきます。通常は、メッセージで回答をお送りしておりますが送れない方でしたので以下に書いておきます。今後は、メッセージが送れない場合は、このように記事に書きませんのでご了承下さい。また、人によってはメッセージはしません。

以前紹介しました影まつりでありますが、過去帳はあればあるに越したことはありません。

霊の世界は念の世界ですので、供養しようとしている人の所に寄ってくるものです。過去帳があっても形だけで心がなければ意味の無い事であります。

守護霊に関してですが、今まで多くの方を鑑定してきた中で、自分に守護霊がついているか視て欲しいといわれる方で守護霊がついていた人は一人もいませんでした。守護霊のいる方は、自分に自信があり、また、守護霊に守られていると心底信じております。ですので自分に守護霊がいるか、という相談はされません。そのような方は、実際に守護霊の加護を受けているものです。

いるかどうか不安という場合は、ほとんどの場合、いないと思った方がよいでしょう。強力願望達成CDを訓練されている方のようですが、その商品できちんと訓練されていれば、心の波長が変わり守護霊の加護も受けられるようになるのではないでしょうか。私の相談者も使用されている方が多いですが、きちんと訓練し内容を理解できている人は、著しい運気の好転がみられます。



このような人は、ほぼ間違いなく守護霊がついていなく、何の加護もありません。


供養を怠る人には、悪い土地が良い土地に見えるのであります。


守護霊がついている人は4割程度と以前の記事に書きましたが、ついている人でも一人か、多くて二人くらいであります。


なかには、大企業に発展させていくような人には、三人も四人もついている事があります。


仏様を供養しなければ、絶対に助けてやろうなどと思いません。

なぜ、こんなに不幸なんだろうと、嘆く人がいたならば、その人はまったく供養する気がないか、これまで仏様の事など考えた事もない人でしょう。

必ず人間は、自分の死については胸騒ぎというものがあります。

その胸騒ぎを察知しても、それが何なのか分からないものです。


このため、死ぬ間際の人というのは、いつもと違う行為をしがちであります。

いつもいわない事をいったりすることもあります。

自分で意識しないうちに世話になった人に連絡をしてみたり、最後の挨拶をしに行ったりするものです。

そして、何となく寂しくなるのです。


死が目前に迫っている人は笑わなくなります。

笑っているうちはまだ大丈夫なのです。


何らかの災難が待ち受けており、これから死が訪れようとしている人が、家を出る前に何となく寂しそうだったという事もよくあります。家族の方は、亡くなった後に気がつくものです。


交通事故などの不慮の事故で亡くなる場合でも、その前日あたりは絶対に笑いません。

そのような時に、周りの人が気づいてあげて、今日はどこにもいかないほうがよい。と言ってあげる事で亡くならずにすむ事もあるのです。霊や目に見えないものは一切信じないという方は、このようないつもと違う雰囲気に気がつかないでしょう。


事故、事件、災害などで明日死ぬことになっている人は、何ともいいがたい寂しさを感じているはずです。





永代供養をお寺に任せてあるから大丈夫という方をよくみかけます。しかし、それは生きている者の自己満足にしかすぎないのであります。


それで安心して、日々の供養を忘れてしまうなどもってのほかであります。生きている者の、霊への愛情が薄れ霊は淋しい思いをするのであります。


故人が生前何を好み、どんな事で喜ぶか知っているのは、遺族だけなのです。お寺も商売の一つですから、ほとんどの場合、機械的に処理するだけでしょう。永代供養をしたからと安心せず、今生にある者は、亡き人の追慕と供養をするべきなのであります。

それは、霊にとって最も大切な日であります。
その日は、人がこの世を終え、霊界へ旅立った日でありますが、その命日は、霊にとっては忘れられない日になります。


人がこの世を終えると普通は三途の川を渡ります。
そして、身内の霊に守られながら、ひとりで霊界を歩いたり、また家に戻って屋根の近くにとどまったりします。


人間がこの世に生まれてくる日、そして死んでいく日、その日にちは偶然によって支配されているのではありません。


命日は、霊にとって何よりも忘れられない日であるというのは、それが現世から霊界へと大きく自分の生涯を変えた日だからであります。


この命日は、霊界のひとつの区切りの日でもあります。
ですから、命日は忘れずにきちんと供養する事が大切なのであります。