前回の続きではなく
ただの呟きです。。。
義理母の身の回り物は
何一つ整理されてなくて
まだまだ生きる気満々だったのが
部屋の様子から伝わって来ます。
本当に突然の入院で
一度も家に戻れず
そのまま逝ってしまったので
義理母の部屋は
今でもその息づかいが聞こえて来そうな
まだ部屋が生きているような
そんな感覚に陥ります。
しかし、あの歳になって
まだまだ死なない、まだまだ生きると
思っていたのが、
私は恐ろしくもあります。
いったいいつまで生きるつもりだったのか。
ここ数年は
義理母の部屋に入る事はなかったのですが、
部屋というのは
持ち主そのものを表すものなんだな
と感じました。
部屋の佇まいから
義理母という人間が伝わって来て
息が苦しくなりました。
私は、以前から旦那に
義理親に私物の整理をしてもらわないと
後々大変だよ、と言ってたのですが
旦那は多分義理親に何も言ってなかったし
本人達も終活なんてやる気は全然なくて
結局義理母は
私物もゴミのような物も沢山
そのまま残して逝ってしまいました。
きっと、どれだけ長く生きても
終活はしなかっただろうと思いますが。
普通に当たり前に
明日が来ると思っていたと思われる
義理母の部屋に入る度に私は
さぞ無念だったろうなぁ‥
と義理母に思いを馳せます。
35年間に渡り蓄積された
義理母からの仕打ち、
私の行き場のない負の感情を
『可哀想な義理母』で削り落とします。
義理母を「可哀想だった」と思い
憐れむことで、
昔の辛かった時の記憶と感情を
少しずつ減らしていってます。
その為に私は
義理母の部屋に足を踏み入れます。
本当に可哀想な最期だったなぁ、
気の毒に‥
そう思う為に
今日も私は義理母の部屋に行ったのでした。