足利茶々丸は
三浦半島(油壺)にある新井城の
三浦時高
のもとへ逃げ込んでいた
三浦は
守護(関東官領)上杉氏の領地内だ

青いところがそう
関東官領上杉氏は2派に分裂している
山内上杉
扇谷上杉
この2派が一族同士て
果てしなく戦をしている状態
で、相模(神奈川)は
東が三浦氏(新井城)
西が大森氏(小田原城)
といった地頭が立っている
早雲が密かに狙うのが
この相模の国だ
しかし兵も少ない貧乏地頭の早雲が
圧倒的な軍事力の上杉領に直接戦をしかけるのは
無理なのでじっくり時間をかけて
扇谷上杉や三浦、大森と親密な関係を築く
大森の小田原城主が病死し
息子(大森藤頼)に引き継がれてから
この人に人望がなく
勢力が弱ってる
この藤頼のことを嫌う叔父
海実(箱根権現の別当)と親密になっていた早雲は
箱根の山で鹿狩りをさせてもらいたいと
海実を頼み藤頼の許可を得る
この作戦でやっと
早雲の領地が
超えがたい”箱根の坂”を
超えた
鹿狩りと見せかけた
小田原城攻めは簡単に落ちた
このころ既に小田原の民のこころも
押さえてあったので
終始あざやかに事が運ぶ
このとき早雲64歳
当時まだしょぼかった小田原城は
早雲によって関東第一の堅城にするため
補修・拡張される
西相模を取った早雲
次は東相模の三浦氏とかまえ
相模全土を手にしたのは
御年87歳
その翌年病死。

一番濃い緑が早雲が切り取った領地
その他薄緑は早雲の子孫による。
駿河に入ったときの早雲は
その時点ですでにいいおっさんだった
この時代だったら隠居していいころ。
そこから生まれ変わったように
いままで生きて来た年数と同じくらいの
時間生きつくしたのである。
この人物の成功の秘訣は
誰よりも冷静で
誰よりも気が長いところ。
気が長い分
年をとるのを忘れてしまって
寿命が延びてしまったような、、
日頃焦っている
自分をいましめる事ができた。
これで来月の箱根行きで
小田原城をめでる準備ができた
伊豆を背にする箱根の山にも訪れたい。
資料:「日本史年表・地図」吉川弘文館
三浦半島(油壺)にある新井城の
三浦時高
のもとへ逃げ込んでいた
三浦は
守護(関東官領)上杉氏の領地内だ

青いところがそう
関東官領上杉氏は2派に分裂している
山内上杉
扇谷上杉
この2派が一族同士て
果てしなく戦をしている状態
で、相模(神奈川)は
東が三浦氏(新井城)
西が大森氏(小田原城)
といった地頭が立っている
早雲が密かに狙うのが
この相模の国だ
しかし兵も少ない貧乏地頭の早雲が
圧倒的な軍事力の上杉領に直接戦をしかけるのは
無理なのでじっくり時間をかけて
扇谷上杉や三浦、大森と親密な関係を築く
大森の小田原城主が病死し
息子(大森藤頼)に引き継がれてから
この人に人望がなく
勢力が弱ってる
この藤頼のことを嫌う叔父
海実(箱根権現の別当)と親密になっていた早雲は
箱根の山で鹿狩りをさせてもらいたいと
海実を頼み藤頼の許可を得る
この作戦でやっと
早雲の領地が
超えがたい”箱根の坂”を
超えた
鹿狩りと見せかけた
小田原城攻めは簡単に落ちた
このころ既に小田原の民のこころも
押さえてあったので
終始あざやかに事が運ぶ
このとき早雲64歳
当時まだしょぼかった小田原城は
早雲によって関東第一の堅城にするため
補修・拡張される
西相模を取った早雲
次は東相模の三浦氏とかまえ
相模全土を手にしたのは
御年87歳
その翌年病死。

一番濃い緑が早雲が切り取った領地
その他薄緑は早雲の子孫による。
駿河に入ったときの早雲は
その時点ですでにいいおっさんだった
この時代だったら隠居していいころ。
そこから生まれ変わったように
いままで生きて来た年数と同じくらいの
時間生きつくしたのである。
この人物の成功の秘訣は
誰よりも冷静で
誰よりも気が長いところ。
気が長い分
年をとるのを忘れてしまって
寿命が延びてしまったような、、
日頃焦っている
自分をいましめる事ができた。
これで来月の箱根行きで
小田原城をめでる準備ができた
伊豆を背にする箱根の山にも訪れたい。
資料:「日本史年表・地図」吉川弘文館
