結宇です。
今日はちょっと汗ばむ日。もう9月も終わろうとしてます。
なんだか夏がひょこっとやってきてる名残惜しさというような。
ずっと考えていたことがありました。
ブログについても変えていこうという気持ちになっており、、、。
セラピストというより
気が付いたことを表現してく人になりたいなあと
ずっとどこかで思っていました。
これからは日々の小さな気づきを少しずつ書いていけたらなと思う。
でもどんな人なの!と気になる方へ
過去の記事まとめてみました
先日ご縁あって、
対話セラピストの大野木睦子さんという方のお話会に行ってきました。
会いたいなと思う人には、もうすぐ会いに行ってしまう性分です。
「転機」というテーマの対談だったのですが
話を突き詰めていくと、「本質に還る」という言葉を聞きに行ったのだと再確認してきました。
お話会に行く前から、「本当の自分」になるとか、「本当の自分」でいるとかそんな言葉ばっかり目にして、わかってる!って頭はいつもそう答えるのですが
気づいたことがありました。
本当の私はどこにもいないし、それ自身。
むしろこれ。というぐらい。
最近、自分が透明で空っぽな気がしてきました。
例えばですが、優しい人っていうアイデンティティーすら、自分を守る道具であったり、理由であったり。そうである自分なんて本当はいなかった。
優しさですら、敵をつくらないため大事な在り方だったのかも。
優しく振舞う行動は起こるし、優しい気持ちは湧き起こる。
同時に湧いてくる怒りもあるだろうし、悲しみや、嬉しさも。湧いてくるし消えていく。
そして、それは自分だけに起こることでなく、全ての人に同じように、湧き上がり消えていく。
ただそれだけ。
なんだか、自分は風が通り過ぎる、空気みたい。
それでいて、そのまんまでいいとか、自分らしくといったとたんなんだかとても心もとなくなる。
足元の下はガラス張り、高いところに急に連れてこられたようになんとも落ち着かない気持ちに。
今持っている全部を無くしたら、私は私として価値があるのかなと
考えるだけですくんでしまう。
でも同時に。こんなことも考える。
例えば、背が高いとか、サイキックであるとか、目が大きいとか、足が速いとかそれは、個人として存在する以上他の人と違っていていいし、個性であるし、ないことになんてできない。
むしろ持ってるもので勝負(っていうか別に戦わなくていいんだけど)って感じだ。
それを愛するとか愛さないとか、それを持っている私はずるいとか、こんなのしか持ってなくて残念だとかは個人のストーリーで、もう本当はそれでいくしかない。
ただ、そこに感情をくっつけてもいいし、つけなくてもいい。
もってるキャラで遊びつくせという感じなんだろうな。今回はそれでやってくれみたいな。
だから遠慮することなしに、持てるものを使って楽しめばいいし
表現していけばいい。
そして、困ったときはそれを持っている誰かに助けてもらったらいい。
それを持っている誰かの表現を楽しめばいい。
そう思ったら、本当それらはギフト。
何もないなんてなくて、他の人と同じようになりたがるから、ないようにも見えるのかな。
徹底的に自分になる、そうすると魂が喜ばずにいられない。
きっとそうなんだろうな。
魂を。様々な感情を楽しみたい、経験してみたい。
ああ、世界は自分に優しかったんだ。