和紗です![]()
中高の美術教諭を志し、
京都の芸術大学で日本画を専攻しておりました。
そしてこのたび中退しました
現在は大阪の短期大学で幼児教育科に在籍しております。
あのころは若かったです
(笑)
大学で夜の11時まで絵を描いて
朝5時に起床しお弁当をつくり用意をし・・・
朝6時~9時までホテルのウェイトレス
お昼の空き時間に食堂でお皿洗いをし食券をゲットし・・・
授業は一番前の席でがんばってました。
(何をがんばってたかって?先生の似顔絵を描いていたんだ)
大学の近くに下宿していました
下宿生活はまさに「ストイック」![]()
家計簿をつけて、月1万以内に食費を抑え、
家賃、生活費すべて含めて2万5千円以下にし、
自分のバイト代で賄う。
寂しいときもありました。
でも今思い出すと、芸術大学での二年間は夢のように楽しかったです![]()
まず、環境が本当によかった。
大学裏には竹林が広がりお寺がひっそりと佇み、
息を呑むくらい美しかった。
日本画塔の裏には山があり、鹿や鶏が餌を食べ
蓮池にはおたまじゃくしが泳いでいました。
夏になれば友達と池の周りで水遊びをし、
友達と、河原で蛍を眺めました。
展覧会が開かれれば、自転車ですぐに見に行き
二時間も三時間も居座りました。
お休みには三条で古びた喫茶店や、色とりどりの和雑貨を見て回りました![]()
冬になれば、制作の合間に白い息を吐きながら、
ホットレモンを飲んで、友達と丸まって・・![]()
いつまで経ってもキャンバスから離れられず、目の前の作品を課題だと割り切れず
岩絵の具を溶いてはのせ、溶いてはのせ、
時には一日中、モチーフと向き合って、ただ眺めていた日もあったな。
絵が好きだった、幸せだった。
絵は心の揺れに伴って、時には大きく荒れつつ変化していき、
自分自身とともに少しずつ、成長していく。
すべての作品が「未完成」で、同じ絵は二度と描けない。
長谷川等伯が好きだった。色なんてないのに、
墨の濃淡でこれほどまでに空気も、世界も変えてしまう、表現してしまう。
魅せられた。
間が美しい。日本独特の美の感覚。
こんな絵に憧れた。
日本画の顔料は鉱石を砕いたものなのでその色だけで十分に美しい。
自然から生まれた色で、自然を描く喜び。
でも線の美しさを見せるために色は薄く塗るという手法は
学校の方針上出来なかったし私の画力では通用しなかった。
そもそも芸術には終わりがない。
何を良しとし何を悪しと定めるか誰もわからない。
そして何より美術教諭の免許は取ることも、
取れても究極の狭き門で
将来の見通しがつかず家計を圧迫している自分が嫌でした。
もっとも、私は美術をどう自分で子どもに教えればいいのか
どんどんわからなくなっていた。
だけど、絵は好き。そして、みんなが好き。
だけど いつの日か絵を描けなくなって
長く悩み苦しんだ末、私は進路変更を決意しました。
とても荒れました。
でも、自立したくて保育士を志してます(・∀・)
こどもかわいいヾ(@°▽°@)ノ
