りんごもちのブログ

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ボランティアで幼稚園いったのね。




子どもかわいすぎて、幸せで楽しくて、生き返りました。




ずーーーっと甘えてきてくれる年少さんがいて




「先生はここに寝るの、一緒に寝よ~」って言われたときはにやけてしまったw






赤の積木をいちごに見立てて「いちごもう一つあったよ~」って


一生懸命体より大きい積木をよちよち持ってくる姿は「萌え」でした。


「はい、いちごのサラダですよ。おいしかった? 次なにがいい?」


って器渡してきたり・・・・・ああ(〃∇〃)ラブラブなにこのかわいさーーーー




水着とか大人みたいなの着てるんだけど幼児体型で


かわいすぎる(笑)




↓こんな子だった~。おちびちゃん


言葉がままならないのにいっぱい話すの。


笑ったらよだれ垂れて・・・ああかわいい・・・。




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保育はすごかったよーハードすぎるw


7人くらい一気に話しかけてくるからねww






後ろからバーンって


洗濯バサミで作った鉄砲で攻撃してくるから撃たれた真似


背中に乗ってくるし


男の子三人がおままごとして、ずーっと色々食べ物くれるから「おいしいなー」って食べて


横からはおちびちゃんがデザート作ってくれるし


喧嘩してたらとめなきゃいけないし


いろんな子から「見てみて~○○できた」って言われるしw
















洗濯ばさみと、積木と、おままごとの道具だけでいくつもいくつも、


自分たちで遊び考えるの。




洗濯ばさみをたくさん丸にして輪っか作って、けんけんぱしてたり。




青いたくさんの洗濯ばさみを見て「海だよー」って子どもが言ったときは


ものすごい、衝撃と、感動でした。








洗濯ばさみを、実習生の髪にものすっっっごい付けたりさ。


彼女は、完全に・・・ウニだった・・・・・・。


あんな人間の姿はいままでもこの先も見れない気がする(笑)


子どもっておそろしいww








プール遊びもしたんだけど


子どもと水ってすごいステキなの。


めっちゃキラキラした顔なの。




水すっごいかけてくるからもう服も顔もびしょびしょです。


手で器つくってあげたらペットボトルで5人くらいが水を流してきて


頭にかけたらすごい気持ち良さそうにしてんの。




泡こぽこぽして楽しそうにしててさ。










終わったらお弁当の時間。


おかあさん一生懸命栄養考えたんだろうなっていう


手の込んだお弁当ばかりで感動したなぁ。


私も、子どもには、手作りのお菓子と栄養たくさんのお弁当持たせてあげたい。












食べ終わったら、


午睡(お昼寝)の時間。


「先生はここ、一緒に寝るの」


っていうおちびちゃんの頭をとんとんして寝かせて




それから寝つけない子をずっとなでてとんとんした。


両手で二人一気に(笑)




みんなが寝たら実習生で


別の部屋で運動会の用意を手伝って






二時間みんなが寝たあと


もっかい、自由遊び。


みんな積木で思い切り遊んだ。




私はおちびちゃんがずっと


「これ車だよ。乗って。先生乗って」


っていうから乗って車の真似。




すべりだい作ってたな。すごいなぁ。




女の子がだっこねだるから、だっこしたまま歩いたらめっちゃ笑ってた。
















絵本読んだ。


絵本ね、子どもが引き込まれるように感情こめて


一人一人の顔を見ながら大きな声でおおげさに読んだ。


演劇をするように。


なりきった。




するとみんな真剣な顔でこちらを見るの。


おはなしに夢中になってくれた。




すごい、自信がついた。


私もこうして楽しますことができるんだって。




学校では恥ずかしくてできなかったけれど


子どもを前にすると「ほんとにこれが自分?」ってくらい


堂々とできた。


愛情なんだな・・・。




先生にも「マジメでよく遊んでくれるね。優しいね。


子どもたちは、このひとは遊んでくれる人だって、優しいかこわいか


本当におどろくほど、すぐに感じとるからね。」


と言われてすごく嬉しかった。




今日はなんと楽しくて充実した、夢のような時間を過ごせただろう。


私生きてるなって思った。




明日もあるからがんばろう。


明日でおわかれだな・・さみしい。さみしい・・


思い切り楽しもう!


みんな、大好きだ。















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◆チャムをもとう◆

チャムとはサリバンの言葉で、親友のこと。

人格への無関心からか今は教育学でほぼ語られていない。

全思春期(6~10歳)でどうしても必要な存在。

親に反抗し始める第2次反抗期でもう一人の自分をつくるとき支えになる。

同じような人を見つける、親から友人へと重心が変わる。

これを奪われることは大変なこと。

放課後遊ぶ人の存在。高校になるとグループができ成人になると恋人ができる。

◆5月28日の夕刊に東大のほんだゆきさんのコメントの紹介。

「子どものころ外で遊んだ子ほど将来の成績や収入に期待ができる」

という保護者の好きそうな文句で子どもの野外プログラムが2泊3日4万であった。

いつも塾に通う小1の子が8人ほどきた。

ふんだんな自然の中で「何して遊びたい?」と聞いても「別に」という。

釣りやキャンプファイアーなどたくさんの企画の中で

その子どもたちが一番好きだったのは「缶けり」だった。

普通に皆がしている遊びを、仲間と遊ぶ機会にできたことがうれしかったのだろう。

そして子どもたちは遊ぶことや楽しかった経験をちゃんと覚えているのだ。

先生たちは「こんなときはごめんなさい、こんなときありがとうという」

などコミュニケーションの方法を教えるが

その前に生活を教えることの方が大切だ。

◆夢をもつ◆

今子どもたちは金で遊べる遊びをしている。

先生にも親友がいた。

先生はどもりで、でも音楽の時間は大好きだった。

そして音楽を聴きたかったけど貧乏なのでなんとかラジオを作ろうとした。

近所にラジオを作れるお兄さんがいて、ゲルマニウムで鉱石ラジオを作ったり

真空管をつくりスピーカーを作ったそうだ。

◆社会的本能◆

人の役に立ちたいと思う気持ち。

どうしたら何をしたら役に立つか探し発想をみつけだす。

われわれの中には社会的本能と、消費者本能がある。

「ごはん、おかわり」と王様のように母に命令する子どもはいないだろうか。

「将来どう役に立ちたい?」と聞くと「別に」という子ども。

お手伝いより勉強しなさいという母。

仲間、をとりもどし生活家族を小さく取り入れる。

そんなところから関心が外へ向き、生活はもっと豊かになるのではないだろうか。

◆子どもの鬱◆

中学生の4人に一人が抑欝状態。10人に一人が欝状態。小学生では4%。

積極的になる子は暴力だが欝になる子もいる。

欝は大脳生理学と心理学的な原因では、欝の発症は同じ割合だったが今は増加し

てる。社会学的に「子どものストレス」を知らなきゃいけない。今、子ども社会

は競争化なのだ。

デンダ先生の「子どもとうつ病」という本でキャノンの実験を紹介している。

猫の檻に獰猛な犬を入れるとドキドキして糖が過剰分泌する。自律神経と内分泌

化は、生命を守るために、でるもの。これが

人が試験を受ける前に同じことが起きる。

何からも生命を守らないし役に立たないのに(笑)

中間一貫校が増加し230年で競争化が起きた。

安らぎのはずの生活が、学校化している。

日本青少年研究所の中高生の意識調査をアメリカ、日本、韓国でしたところ

日本はとても自己否定感が強かった。

「自分は何の能力もないと感じる」の問いに

日本の中学生の46%、アメリカは6%

「自分はダメな人間だと思う」に対し

日本は56%、アメリカ14%

さらに「あなたは疲れていますか」には中学生の76%が…。

机上の空論のように先生は勉強を教える。シグナルをどう考えるかではなく、全

国学力テスト…テストテスト。どういうことか。

神戸ではドラッグをする子どもも増加している。

それでも子ども達は育ちなおしたいと願っている。

子ども達にはぐんぐん育ちなおす力がある。

◆実用的知能と論理的知能◆

フランスのガストヴィオンの著者「知能」白泉社 では

☆実用的知能

☆論理的知能

があるとしている。

実用的知能は体で覚える実用的で素朴な物理学。

これが基盤となり一つ一つの知識をどんどん膨らませられる。

ここが弱ると困難にあったとき生き続けるのさえ困難。

学童保育「仲間と放課後あそべるところ」と 学校の連携が必要。

◆生活家族と教育家族◆

教育家族とは教育社会学でよく使われる言葉。

家族の形は、1970年代(30年前)に大きく変わった。

高校進学率90%と家庭の電化がほぼ完成したことから

子どもの出番がなくなり、勉強に期待されるようになる。

親には「勉強のものさし」ができてしまう。

2人3人兄弟がいると序列ができてしまい

「私は期待されていない」が愛されていない、と感じる。

親はそんなこと思っていなくても

子どもが私は必要なのかな、と敏感にそれを察知してしまう。

生活家族とは助けあうこと。

先生は米を炊くために火をおこす時代に過ごしていたため

子どもはあたりまえにお手伝いをする存在だった。

三歳の妹がびしょびしょに食卓を拭いても家族は何も言わない。

それが彼女の仕事だからだ。

母は「お兄ちゃんのごはんはおいしいね、世界一だよ。

みんな妹の拭いたちゃぶ台でごはんを食べる、これがしあわせってものだよ」

とみんなをほめた。

今の進んだ社会にそれを家族に求めることは無理だけれど

少しでも、子どもの出番をつくってあげることが大切ではないだろうか。

そして子どもの数だけものさしを持つ。

僕は必要とされているというきもちが信頼へと、愛着へとなる。