永遠の別れ | りんごとももはいつも一緒

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久しぶりの更新になりました。


実は

8月23日 1時40分。

とうとう
最愛の母との永遠の別れとなりました。



個人的なことではありますが、
心にぽっかりと穴が開いてしまった今、
気持ちに整理をつけるために記録を
残しておきたいと思います。


8/22 夏休み明け初日の台風の日。

13時
母のホームより携帯に連絡あり。
危篤状態になったとのこと。
聞いた瞬間は足が震えた。
急いで会社を出発してホームへ向かう。
台風の影響で電車は運休ばかり。
間に合わないかもと思うと
焦りと不安で涙が出てきた。


15時20分
ホームへ到着。
呼び掛けると目は開くが反応はない。
血圧は上が40台、下は測定できず。
絶望的な状況を認識。


16時30分
家族ぐるみの友人母娘が駆けつけてくれ
心強い。共に励ましてくれるが反応なし。


17時30分
不整脈が激しくなりペースメーカーも
調整不可の状況。
脈は38~158で大揺れ状態。
呼吸も苦しそうで表情も険しい。


19時40分
友人母娘は帰宅して部屋には私一人。
泊まって最後の時間を共に過ごす。


20時20分
痰が切れずに苦しそうな表情。
呼吸も荒く口からは出血。
もう、旅立たせてあげたいと思う私。
見ているのもつらい。


8/23  日付けが変わる。

1時30分
呼吸がとても荒く体が大揺れに。
何度も呼び掛けながら手を握るが
一点を見つめたまま苦しむ母。


1時40分
大きく大きく息を吸い痙攣したあと、
そのまま動かなくなる。
呼び掛けながら頬を叩くが反応なし。
永遠の別れとなった(涙)


いつも、母に力をくれたももは

お別れには会えなかったね。


最後に着せてあげたドレスは

一緒にハワイを旅行したときに買った
お気に入りのもの。


遺影は

一緒にチェコを旅行したときに私が撮ったスナップ写真を引き伸ばした。
(手に父の写真を持っています)


祭壇は

優しい仕上がりになりました。


そして、全てを終えて母と帰宅。

私は
18年前に独立して一人暮らしを始めたので
母と暮らすのは久しぶり。
四十九日の納骨までは一緒に暮らします。


ちゃっかり端に写ってるもも(笑)



ももが最後に会ったのは
亡くなる6日前だったね。



今思えばあのときが最後だったね。




ももを見て笑顔だったよね。




私がいないときは、
おばあちゃんをお願いね。




16才の時の母は清楚な女学生。




新婚時代の二人。




ホームで元気な頃はももと遊んだね。



83才。
父が他界してから15年。
寝たきりになってから3年半。
父と兄との再会に旅立ちました。

家族に愛され、友人に愛され
最後はホームの方々にも愛された。

幸せな人生だったと思う。


母の最期を考えるようになってから
私が願ったことは3つ。
全てが叶いました。


ひとつは
息を引き取る瞬間は間に合いたい。
最後は一緒にいてあげたいと。


もうひとつは
兄と同じ場所からお見送りしたいと。




最後は、
戒名は私がつけたいと。

私が考え通りの名前ご住職に授けて
いただきました。

紫香院貞徳永心大姉。

紫の似合う心優しい母だった。


手紙には書ききれなかった思い。


いっぱいいっぱいありがとう。
優しい笑顔を忘れない。

頑張って強く生きていきます。