瞑想は私の趣味の一つ。
30歳位から始めたから、約50年になる。
目的は内面との対話。
内面の微かな声を聴くためだ。
瞑想には複式呼吸が大切。
これは、精神や心を落ち着かせ静めるため。
禅のやり方と同じ。
10年位前、内面との対話は終わった。
内面に、こころや精神などの定まったものがない。
というのが分かったからだ。
内面は揺れ動いて、一時もじっとしていない。
一時的な刺激でどうにでも変わる。
千変万化のばけもの。
これでは、内面を訪ねても何も見つからない。
内面との対話を止め。
こころを平静に、を目的にした。
腹式呼吸に入ると、自然と、余計な思いや気持ちが消えていく。
特に、数を数えることに集中するとたやすい。
還暦まで、毎日のなりわいで、多様な心配事が生まれる。
こころを静めたいが、悩みがあっては無理な話。
まず、問題を一つ、一つと片づけないと、前に進めない。
しかし、10年位前、仕事を止めてから、
そういう日常的な問題はなくなった。
こころを静めるのがたやすくなった。
老齢の特権。
今、私の瞑想は、内面との対話でなく、
心身、肉体との対話になっている。
身体の微かなメッセージに耳を傾けるのが目的。
そのために、腹式呼吸に伴い、
腹部と背中に生じる熱(炎のようなもの)が役立っている。
これが身体中を波のように揺すってくれる。
同時に、
温泉に浸かっているような快適さもある。
とても気持ちいい体験。
暖かい炎が上半身をめぐってくれる。
身体のどこかに問題があれば、
そこを中心に炎を集める。
そうすると、とても気持ちいい。
瞑想していると、何も考えない。
頭の働きを停止している感じ。
死後の状態に似ている。
すべての心配ごとがなくなった状態。
悩みや苦しみは全くない。
静寂に満ちて、完全に無の世界。
人生の目標は、この状態に至ること。
人にとって死は、ある意味、
人生のゴール、もっとも最適、最高な境地。
死こそ、人が願う、最高のあこがれ。
中年までの死を忌む・嫌うという気持ちが、
むしろ、死こそ、あこがれる対象となるのが、
老人の特権と言えるだろう。
今の私はいくらか死を待ち望んでいるといえる。
焦ってはいないが、やがて確実に訪れる死。
死はいいものだと、こころから確信している。
死はいいものだから、
嫌うのは良くない。
ただし、自殺は良くない。
イノチや寿命は天から与えられた恩寵、
自分だけのものではない。
最後まで付き合うのが生きものの定め。
瞑想についてはブログで何度も書いています。
下記はその一つ。