妻が亡くなり、私の心境は随分と変わった。
イノチに対する執着がなくなると平行して、
生命というものへの価値・大切さが消えつつある。
生命は大事だと言われている。
私も若い頃から一貫して、そう信じてきた。
しかし、生命は一度限り、
さらに言えば、今があるときだけ。
スズメがさえずるのと同じなのだ。
スズメたちは忙しそうに生きている。
イノチを謳歌するように。
カラスも常時警戒を怠ることなく、
賢明に生きている。
生命というのは、そういうもの。
今を精一杯生きている。
だが、それも今にとらわれているだけ。
今という限界から抜け出すことはできない。
まさに、奴隷のように。
足枷、手かせをはめられて。
身動きできない。
今という限界から自由にはなれない。
それがイノチ。
それでも、尊いといえるだろうか。
運命だから仕方ないと。
生命であるという運命。
私は若い頃から50年以上、
瞑想の習慣がある。
若い頃は、内面との対話が目的。
腹式呼吸で気持ちを整え。
身体とこころを静寂に。
すると、心臓の鼓動しか聞こえなくなる。
鼓動のたびに身体が揺れる。
こころや精神は複雑。
いくら試みても、
内面に達することはできない。
こころは絶えず変化し揺れ動く。
とらえどころがない。
固定し決まった形も動きもない。
水面のように流れるだけ。
50年の瞑想で分かったことは、
こころや精神は、どこにもない。
という実感と確信。
たぶん、あって欲しいという人の願いが作った虚構。
マボロシ。
それが分かり、
私の瞑想は目的が変わった。
内面ではなく、身体との対話。
こころよりも身体の方が、確かな存在。
瞑想の中では、
心臓の鼓動が一番の基準。
鼓動と共に、身体の感性が変化する。
人が生きるとは、肉体が感受していること。
身体の感覚こそ、生きているあかし。
つづく