言葉はコミュニケーションの手段。

カラスもハチも言葉をもっている。

 

人の場合、言葉はある事柄を記号であらわしたもの。

主に、書き言葉が中心。

音楽や響きや音色や色彩や形や模様などを使う言葉は、未発達。

 

書き言葉は、地域や場所で特有の性質がある。

翻訳できないものも多い。

その地域に固有の情報が含まれている。

 

一般的に、物事や事柄を抽象化して、ある特徴や性質だけを取り上げて、

言葉がつくられる。

リンゴという言葉を例にしても、

ある特別なリンゴを指示しているのではない。

リンゴはリンゴのようなものを意味している。

特別に一個のリンゴを意味しない。

リンゴには多様で多種な要素がある、

その一面だけを取り上げたのが言葉。

 

すべての言葉に、この性質がある。

言葉が指し示す対象は、漠然としている。

対象を正確に真実ありのままに言い表す言葉はない。

言葉は、対象のある面だけを取り上げている。

 

例えば、固有名詞、

人の名前は、特別な一人の人を意味しているように見えるが

実際そうではない。

他の人が偽称することもあるし、

本人が忘れたり、別の名前に変えたり、いろいろある。

昔の人は成長するにつれ、名前を変えた。これが自然。

なぜなら、人は時間と共にいくらでも変化していく。

変わらない人はどこにもいない。

 

抽象的な理念を表す言葉には、この傾向が強い。

例えば、美、これは正確に説明できない見本のような言葉。

 

言葉は、事象を正確に示すものではない。

もし、ものごとの真実を正確に示そうとするなら、

言葉のような曖昧な道具では不可能だろう。

どんな事象でも、無限の要素をはらんでいる。

周囲との関連を考えると、無限さは想像を超えている。

例えば、ひとりの人の全体像を把握するのは不可能。

当人さえも知らない無意識の領域を暴かないといけない。

 

言葉は、対象とする事象ではなく、それに近いもの、だいたいの近似値を示す。

だから、こそ、コミュニケーションに役立つ。

ただ、一つのものを示すのなら、

この世に同じものなどないから、情報として役立たない。

 

言葉が指し示す対象は、どこにもない。ということが言葉の重要な性質。

言葉はお金と同じで、多くの人が使うものが流通する。

多くの人が使えば、それが広く流通する。

つまり、言葉が信用される。

言葉とお金には、共通の性質がある。

 

言葉は真実を伝えるものではない。

なぜなら、言葉はそれが意味する対象はどこにもない。

 

流通しているお金にも、信用以外の根拠はない。

同じである。

 

つづく