意識はどうして生まれる、その12

 

人が外界を感知する能力は限られている。

外界を受け止める能力。

人に、外界のすべてを受け止める能力はない。

 

私たち人の意識は、その人固有のもの。

過去の経験と今現在の情報で作られている。

それは、外界の一部を映しているかもしれないが、

一部でしかない。

 

どちらかというと、

外界を相当程度ゆがめている。

幻想や幻覚に近いものといえる。

思い込みや好みや執着など。

 

外界のすべてを受け止めるには、

概念化できないところも感知する必要があるが、

人の能力では限界。

 

例えば、数学。

数で分析できるのは、

分割可能で数えられるものだけ。

粒子や量子と呼ばれているもの。

 

もし、粒子が分割不能で、同一でなく、相互につながっていたら、

数えるのは不可能。

もし、粒子が不安定で、常に変化していたら、

数えるのも不可能。

1はいつまでも1のまま、というのが数学の前提。

1=1。

私は、1はいつのまにか2になっていることもあると思う。

 

人の脳の知性、概念化していく感知力や感受性などで、

つかみきれないものがこの世にいっぱいあると、私は思う。

 

人の意識は、その個体固有のもの、

たぶん、同じ意識はこの世に二度と現れることがないだろう。一過性や刹那性。

だから、それほど重要なものではない。

この世のわずか一部しか映していない。

 

エネルギーとは、何だろう。

 

熱や運動や位置エネルギー。

質量エネルギー。

 

エネルギーが何か、未だにわかっていない。

 

個々人の意識も同様。

当人の一瞬、今しか、存在しない。

過去も未来もない。

 

魂やこころは、現実、この世のどこにもないと思う。

あって欲しいと願う人々の希望や願いが作り上げた架空のもの、

意識もまた、魂と同じ程度にはかない。

 

つづく