亡き妻と娘が並んでいる写真がある。

娘の大学卒業式の祝い。

 

どちらも、今いない。

妻は死んでいる。

娘も左脳が死んで、病前とは違う人格。

 

私の過去の写真を見る。

確かに私を写したものだが、

当時の私と今の私は全く変化している。

考え方や感じ方の多くが大きく変わっている。

全く別の人間になったともいえる。

名前は昔のままだが、中身はまるで違う。

 

今の私の方が好きだ。

昔の私は、あまり好きになれない。

 

とても傲慢で自分が一番えらいと思っていた。

人の意見は聞かない、いつも自分勝手に動いていた。

斉藤知事のような人物。

 

しかし、それだけ独善的だからこそ、

あの困難、難局が乗り越えられたとも云える。

 

もちろん、妻のささえも大きい。

人の意見を素直に聞いていたら、

前に進めただろうか。

できなかったような気がする。

 

もし人が、暗闇を歩くとき、

何も見えないのだから手掛かりはない。

自分の信念だけが頼り。

明かりは内面にあるだけ。

たとえ、現実無視の独善であっても役立つ。

 

他人は当てにできない。

何も見えていないのだから。

ただただ、自分の信念だけが頼り。

生きぬこうとする強い生命力かもしれない。

 

今の私にそんな生命力はない。

肉体にそなわる本能はあるが。

 

今の私と昔の私は、

全くの別人。

人は人生の途上で何度も死ぬ。

 

だが、普通、人はそれに気付かない。

5年か10年経って、やっと気づく。

中には、一生気付かない人もいる。

 

人の最後の死も同様。

死んだことさえ気付かない。

 

人は何度も死んでいるのだけど、

同じ人間のようなふりをして厚顔に生きている。