人類は相手が動物であれ、同族のヒトであれ、
殺し合いの技能を高めることで生き延びてきた。
付随的に文化も進歩してきた。
ひと社会の中で、殺人は日常のことである。
特別な事件ではない。
私の個人的体験をいうと、
小学6年の時、学校の校庭で5年生どうしが喧嘩して、
片方がナイフで刺し殺す事件があった。
休み時間なので多くの生徒が見ていた。
しかし、当時、こういう事件は内部だけで処理したのだろう。
学外で問題になることはなかった。
しばらくして、殺した方は、普通の生活に戻っていたと聞く。
少年院くらいには行ったかもしれないが。
殺人は日常ありふれた事件の一つ。特別ではない。
今、私が読んでいる「たった一人の反乱」で
昭和40年頃の上級市民は非常に特別なことに感じ戸惑っている。
人の死は、特別なことではない。
ありふれた日常茶飯事の一つ。
しかし、多くの人は死について知らない。
ほぼ何も知らないと云ってもいい。
私は77年の人生経験から、
人にとって死はないに等しいと思っている。
つまり、体験できないことだから、考えても仕方ない。
宇宙の他の星に住む生物の悩み事を思案するのと同じくらいに。
地球上の生きものは死を予期しない。
人だけは死が予期できる。
例えば、来週に死ぬだろう、と。
予期しても何もできない。
近親者とのお別れくらいはできる。
死が悲しいか。
妻が死んだ体験から云うと、
死は恩寵や恵みに近い。
これでやっと、この世から解放される。
人の死は、喜んでもいいと思う。
殺人は喜べないが。