完熟したイチジクは美味しい。

こんな、おいしいものがあるのか、

という程、感動する。

 

しかし、どんなに美味しくても、

噛む時間は短い。

ジャム状で、口の中で溶けてしまう。

溶けないで永遠に口の中にあればいいのだけど。

 

人の人生もまた、一瞬しかない。

永遠に続く一瞬はない。

 

一瞬はどこまで行っても、一瞬。

長いか短いか、

はかない程、短い。

 

この一瞬に全エネルギーを賭けるのが

人の生き方。

哀れ、はかない生き方。

 

しかし、一瞬に意味を込めて、

有意義に充実したいと思うのが人。

 

例えば、自転車漕ぎをするとして、

ペタルを踏むだけではつまらない。

ついでにテレビを見る。

あるいは、本を読みながら、

友だちとおしゃべりしながら、

同時にいろいろやると、より有意義に感じる。

 

本当に有意義だろうか、

一瞬の過ごし方で、平行して沢山する方が生産性が高い。

本当に、生産性が高いのだろうか。

 

一つのことに集中する方が、

同時にいっぱいやるよりも、充実しているかもしれない。

 

人生は短いから、いっぱい経験する方がいいのか、

それとも、短いから一つだけする方がいいのか、

どちらも、大きな違いはないだろう。

 

選択肢が多い程、選ぶのが難しくなる。

むしろ、できることが少ない方が、

迷いが少なくていいかもしれない。

 

老人になれば、選択肢は狭くなる。

老化による心身の体力低下。

 

しかし、迷いがないので、

ある意味とても気楽。

 

私の場合、老化は最高のよい友達。

例えば、難聴が酷くなる。

会議には参加できない。

つまり、会議などに行く必要がなくなったのだ。

これで、自治会活動もしなくてすむ。

ボランティアも社会参加も卒業。

友だち付き合いも不要になった。

 

眼が悪くて、すぐに疲れる。

これで、本もテレビも見なくてよくなった。

新聞は見出しだけ。

読書も最小。

新しいことがなくなり、

新たに学ぶことがなくなったのだろう。

眼を使わないでも、不自由しなくなったのだ。

 

老化によって、生きるのがますます気楽になっていく。

 

私の妻が死んで5か月になる。

死ぬことと、生きることは、同じ、だという実感が強い。

 

死は幻想、生もまた、同じ程度に幻想やマボロシに近い。