質問「人生で本当に幸せを感じるためには、何が必要だと思いますか?」

私の回答は下記。

 

77年の人生経験からの結論を述べると。

本当の幸せを感じるには、美や善や価値や真理などの概念から自由にならないとダメだと思います。

 

例えば、お金に執着するのは、そこに価値を信じるからです。

人生は暇つぶしではありません。時間を忘れて何かに没頭するのは、

生きることを忘れているようなものです。

 

暇つぶしでない時間の過ごし方、

それは、瞑想など、何も考えない、何も欲しない、何も望まない、

そんな時間の過ごし方です。

ただひたすら、満足感に浸るのです。

 

例えば、一杯の水をおいしくいただく、そういう味わい方です。

多分、視覚は役に立たないでしょう。

聴覚もあまり重要ではない、味覚や嗅覚や触覚による満足です。

 

エンタメ、娯楽、芸術、研究など、一見価値あるかもしれませんが、

生命を味わうのに障害となる恐れが強い。

エンタメとギャンブルは似たようなもの。一攫千金ではダメです。

 

言葉や概念を操作する思考は、幸せにジャマとなります。

考えない、がいいのです。

すべての心配事は頭の働きから生じます。

 

頭を使うことはやめなくてはいけないでしょう。

ひたすら、感じるのです。味わうのです。

(回答はここまで)

 

 

たぶん、上記の回答が理解できるには、年齢と経験を重ね、

一定の境地に達しないと無理かと思います。

 

大事なことは、「人として生きることはどういうことか」、

「意識はどのようにして生まれるのか」がある程度分からないとダメかと思います。

 

また、ひたすら誠実に生きることが肝心です。

そうすれば、この世で、あなたが願うことは全て叶うでしょう。

 

老いれば、老化で身体は動かなくなります。

身体のすべてで不調が生じます。

しかし、

こころや精神はより自由になるでしょう。

時間などに囚われることもなくなるでしょう。

 

長く生きることなど、たぶん、どうでもよくなるでしょう。

生命への執着もなくなるでしょう。

 

瞑想していると、

身体が感じていることが分かるようになります。

頭や知性が良いとすることは、半分以上間違っています。

 

味覚は特に役立ちません。

美味しいと感じるのは騙されていることが多いのです。

 

本当に身体が欲するものだけを食べるようにしないといけない。

そのために、身体が気持ちいいと感じる実感を育てなくてはいけない。

 

知性や頭で考えたり、感じたりするのは、

だいたい、騙されていることが多いのです。

スーパーで売っている、あるいは新聞やテレビで宣伝している、

宣伝の中身は、知性がこじつけた理屈が多い。

知性の働きは、合理化が大部分。

自分の都合のいいように合理化です。

 

たぶん、多くの発明や発見がそういうものです。

一見、人類社会に役立ちそうに、思える。

しかし、百年も経つと、いつのまにか、消えてしまう。

そういう知恵。

 

身体、心身が、本当に欲しているのは何か。

それを実感するには、

こころをカラにしないと。

考えるのをやめる。

頭を使うのをやめる。

 

学芸、研究、創作、暇つぶしや没頭やエンタメや娯楽や

楽しいことをする、好きなことをする、

そんなことを考えていたのでは、

難しいでしょう。

 

肉体が命じるように動くようになる。

 

最終的に、死は最期の救いとなります。

あなたという狭い世界から解放される自由。

 

とにかく、一切のこだわりを捨てること。

イノチが大切だというのも、こだわり。

 

頭や知性が命じるままではなく、

身体や肉体の命じるままになる。

それが目標です。

 

しかし、人であるから、

頭を使い考えること全てをやめることはできない。

道を歩く時も、買物する時も頭を使う。

 

私が言いたいのは、

考えることに浸る、考えることに依存しない生き方。

 

考えるのも必要だけど、

いつも知性に頼って生活するのは止めようということ。

 

頭を使って考えないでいい時間を増やそうということ。

テレビや娯楽に夢中なときは、頭で考えている時間です。

知性を使わずにテレビは見れない。

 

頭ではなく、身体の感覚に集中する時間が必要です。

 

長くなるので、具体的なやり方は次回で。