質問「人間の命より大切なものはなんですか?」

 

今朝は少し暇なので回答してみます。

人間の命という概念があいまいです。

意味を広く解釈して人類まで広げると回答できないので、

私一人の命ということで回答します。

 

私一人の命よりも大切なもの、これは限りなくあります。

家族や地域社会、もっと広がるかもしれません。

 

人の命は、今、この瞬間しか存在しません。

過去に生きることも、未来に生きることもできません。

人にとっては死さえも体験できないことの一つです。

死ぬ直前に意識を失うので、死を体験することはできないのです。

死は眠りにおちいるのと、まったく同じです。

苦しみも痛みもありません。いつの間にか死んでいます。

眠りと違うのは、永遠に目覚めることがない眠りです。

だから、人が死を怖がるのは、愚かなことです。

 

いのちは今、この瞬間にあるだけです。

意識とともにあります。意識こそ、いのちの実体です。

 

意識(いのち)が何故、大切なのか。それも単純です。

今、この瞬間にしかない、はかないものだからです。

すぐに消え去る運命です。

そんなに大それた存在ではありません。石ころと同じです。

 

たとえ、人間社会で有名になったり、偉大なことを成し遂げたとしても、

歴史のひとコマです。

過ぎ去れば、忘れ去られます。

しかし、忘れるからこそ、人は今を生きることができるのです。

過去の亡霊を引きずっていれば、今を生きることさえ、不可能となります。

死者のように生きるのはゾンビと同じです。

 

過去も忘れ、未来のことも未知なゆえに、

今、この瞬間を安心してのうのうと生きることができるのです。

 

この世で、有名なりたい、あるいはお金持ちになりたい、

そんな願いを持った人は多いです。

しかし、短い一生です。あくせく努力するのは、お勧めできません。

 

私の人生経験から言えることは、のんびり生きた方が賢いということ。

今の世の中、楽しいことや冒険や探求はいくらでもできます。

自分の個性にふさわしく生きるには、他人や周囲の環境に邪魔されない生き方が、

満足感は高くなります。

 

大会社や政府のトップで、多人数の生活の面倒まで責任を負わされる生き方は、

立派で偉大ですが、お勧めできません。

しかし、自分一人の人生の満足よりも、世のため人のために頑張りたいと思う人がいるから、地球人類社会が安定していることもまた事実です。

 

人は長く生きていると、自分のイノチよりも大切なものがどんどん増えていきます。

それも生きがいや生きる意味になるかもしれません。