個性を伸ばせと言われる。

しかし、個性という、その人に特徴的な性質は本当にあるのだろうか。

生後の環境により、たまたまそうなっているだけでは。

 

人は、遺伝子と環境の相互作用で個性なるものが発現する。

しかし、成長と共に個性はどんどん変化していく。

個性は変わるのが本質でないだろうか。

 

ある時は、虫に凝っていたり。

ある時は、将棋ばかりに夢中になり。

ある時は、マンガにのめり込み。

そうして大人になっていく。

 

個性を伸ばすのがいいと言って、

一つのことに没頭させるのは、

いくらか問題があるのではないだろうか。

世の中は広く、道は至る所にある。

 

周囲がちやほやすると、

本人も余計に気にするようになる。

中には、その気になったりする。

 

藤井少年の場合が典型だろう。

たまたま成功したので、

さらに、周囲の期待がふくらみ、

ついに、それが天職だと思い込むようになる。

 

まるで将棋のために生まれてきたようだ、と

将棋道場の師匠が言ったとか。

周囲の大人たちがその気にさせてしまった。

 

個性とは、他人から見て、当人がよく理解できないので、

個性という言葉でごまかしているだけ。

本質的な実体はないと、

私は思う。

 

現にあるがまま、

それが個性の本質。

特別な原因があるわけではない。

たまたま、そうなっているだけ。

個性とはそんなもの。

 

個性がいいわけではない。

良くない個性もある。

しかし、

人は皆、例外なく、

個別の生き方をする。

特別な癖や好みや嗜好や思い込みがある。

そのどれかを伸ばすのがいいとは限らない。

 

数学にのめり込んでいる子どもには、

全く違う道を上手に提示するのが大人の役目だろう。

世界は広い、

しかし、人の人生は短い。

一つのことだけに集中するのは、いいとは言えない。

 

天職とか、天分とか、個性とか、

いずれもフェイクに近い。