Quoraの質問。

ブッダ「弟子よ、"実体"なるものは存在しない」これはどういう解釈が出来ますか?分かりやすい例え話で教えてくださいますか?

私の回答は下記。

 

釈迦の趣旨は知りませんが、私も同意見です。

この世、この世界、宇宙も、すべてが、人の意識上にあるだけです。

人の意識がどのようにして生まれるのか、それが肝心です。

意識は胎内から体験の積み重ねで生じます。

意識は外界をそのまま映し出すものではありません。

人の脳が必要な情報だけを処理した結果です。

人が見る世界は、ありのままの実像ではありません。

虚像や幻想に近いものです。しかし、人が環境の中で生きるには充分に有用です。

 

人が認識する世界は、思い込みや虚像で作られています。

それは、ありのままの実体を示してはいません。

しかし、人が生きるにはそれで充分に役立つものです。

 

人の世界認識は、人にとって有用なように加工されたものです。

即ち、実体ではありません。

 

一番良い例として、人が使う便利な道具である言語があります。

言語は概念です。概念は、一つの実体に対して無数につくれます。

見方や基準や感じ方を変えれば、無数につくれます。

どの一つとして対象をありのままに示すことはできません。

概念・言語という道具の限界です。

 

人は言語や概念を活用して世界を理解しようとします。

しかし、言語や概念では実体を指し示すことは不可能です。

つまり、人の認識は思い込みや幻想や妄想に近いものです。

しかし、人が生きるには、それでも充分に有用です。

 

言語や概念という道具を使う限り、

人は世界のありのままや真実や法則に達することはできません。

しかし、人が生きるには、それで充分に満足できるものです。

思いつくままに書きました。(回答終わり)

 

この宇宙、世界、人類社会も、

すべての現実や実体、それらは、本当にあるかどうか、不明です。

人の意識では認識不可能です。

 

人が確実に分かるのは、

生きている実感です。

ものを食べて「おいしい」。

景色を見て「美しい」。

それらの価値や意味は確実にあります。

 

人が生きることは、それで充分に報われるでしょう。

それ以上求めるのは、傲慢となります。

 

普遍的な価値や意味、

あるいは神のような存在。

それらを求めるのは、人として生きるのを誤ります。