11月5日のブログ「自己紹介」で、
私の自慢は、吃音を克服したこと。と書いた。
完治したのは事実であるが、
それはたまたま、そうなった、だけのこと。
特別に努力したとか、苦労したという訳ではない。
なので、本当は自慢にならない。
天から降ってきた幸運。
私が自慢すべきは、
10歳から50歳までの貴重な体験。
これは何ごとにも代えがたい。
たぶん、私の人生で最大の宝物。
このお陰で、非常に多くの幸運を得ている。
妻との出会い。
大学の中退。
転職の数々。
吃音のお陰で、無数の貴重な体験をしている。
たぶん、人のこころや心理に関心をもつようになったのも。
社会の常識に疑いを抱くようになったのも。
そして、人類社会の未来を考えるようになったのも。
吃音から発していると思う。
吃音でなかったなら、
どんな自分になっていたのか、
考えると、おもしろい。
たぶん、瞑想を40年以上もやっていないだろう。
瞑想して背中があたたかくなることもないだろう。
人として生きることがどういうことか、
また、死とは何か、
それも分からなかっただろう。
幸運の連続という人生を生きていないだろう。