大学をやめる決意は、そこしか出口がなかったから。

 

教養の単位が残っていた。

在学5年を過ぎていた。

ドイツ語の単位。

普通なら、一定以上出席して

試験に合格すれば大丈夫。

 

ところが、その年から、突然、

単位合格の手順が変わっていた。

私が知るのが遅かった。

授業中の口頭試問で判定する。

教師はドイツ人。

 

これには参った。

始めて出席した日に、すでに赤点が数回あると判明。

欠席していたから。

口頭試問は、全く自信がない。

吃音のせいだが。

その日の授業中、中退を決めた。

 

私の担当教官はドイツ語。

頼めば、何とかなったかもしれないが。

 

ドイツ語については次の大学で得意になった。

半年でシュトルム「みずうみ」を原文で読んだ。

これでかたきを討った。

 

30過ぎての大学入試。

どこに行くのかが問題。

4年制大学を卒業しても高校教師にもなれない。

年齢制限を超えている。

 

就職確実なところは、放射線技師養成の短大しかない。

迷う時間はない。

さっそく準備。

約半年で高校3年分を勉強した。

勉強は得意。

(この経験が、あとで塾経営に役立つ)

卒業して12年以上で、ほぼ忘れている。

というよりも、私は高校時代、学校の勉強をしていない。

 

入学後の生活費は妻が仕送りしてくれることに。

妻の扶養家族になった。

20代と30代は、妻の助けが大きい。

 

つづく