瞑想(自己流)を40年以上やっている。
私の瞑想は、内面との対話。
心身の微かなメッセージを感知すること。
自分は何がしたいのか、
本当の自分とは、
その時々でテーマは違うが、
自分の内面の声を聞こうとしている。
その経験から言えること。
自分や私など、どこにもいない。
常に変化しているのが真実。
その時の状況次第でいか様にも変化する。
変幻自在。
固定した自分はどこにもない。
時と共に変わっている。
人が抱きやすい、陥りやすい妄想や思い込み。
その典型が、自分や私があるという幻想。
または、昨日の自分と今の自分が同じという思い込み。
昨日と今日、私は明らかに別人。
周囲の事情が全く違う。
考えること、感じることも違う。
心配ごとも違う。
毎日、同じように瞑想していても、
中身は全く違う。
昨日の気持ちなど、ほとんど忘れている。
忘れるのも当然、別の人間だから。
今の自分や私に、明日はない。
明日があるとするなら、それは別の私が体験するだろう。
今の私ではない。
生まれてから一貫して同一の人は、あり得ない。
全くの別人になっている。
ただし、名前や肉体には継続性がある。
社会生活を営むには不可欠。
それは人間社会で生きるための方便。
長生きがいいという人もいるが、
今の自分に未来がある訳ではない。
肉体の継続性はあるが。
全く違う人になっている。
死が怖いと言う人がいる。
自分や私が、どこにもいないと分かるなら、
自分が死ぬことなどありえないと知るだろう。