人として生きるということ。
75歳になると、それが少し分かるようになる。
生命力の衰えを日々感じる。
この感じなら、死の苦痛はほぼないだろう。
私の父は、肺ガンと肺気腫による呼吸困難で死んだ。
享年94歳。
しかし、死の直前まで苦しそうでなかった。
笑顔も少し。
眠るように亡くなった感じ。
苦痛を感じるエネルギーも残っていなかったのだろう。
老人では、若者と違い、
死は苦しみと無関係になる。
そして、この世へ未練もなくなる。
もう存分に生きたから、いいだろうと。
私のような老人では、
一日がとても長い。
たぶん、気晴らししないためだろう。
暇つぶしや娯楽はほとんどない。
(気晴らしや娯楽とは何か、を考察しないといけないが)
だが、
心身に気持ちいいことはする。
料理したり、
美味しいものを食べたりは心身に気持ちいい。
たぶん、家族の世話も。
掃除や洗濯などの家事も心身に気持ちいい。
心身が求める気持ち良さは、
どこまでも自分中心になる。
それが老人の生き方だろう。
瞑想、自転車漕ぎ、昼寝。
読書は少し、小説などのフィクションはダメ。
娯楽に過ぎないから。
ネットは、Quoraの回答が中心。
時々ブログを書く。頭の体操も気持ちいい。
完全に自分中心の生活。
少しばかり、世の中のことも考えるが。
老人にできることは限られている。
駅前で演説するような元気はない。