自分の頭で考えるとはどういうことか、を書いている。
例えば、正しいとは何か。
この世、人がつくる集団や社会に様々なルールがある。
どんな小さな集団にもルールがある。
明文化された規則や法から、暗黙のものまでいろいろ。
ルールは集団維持のために不可欠。
一定の決められた基準がないと、やっていけないからだ。
しかし、それらは時代や環境で変わっていく。
その集団や社会の都合で変わる。
例えば、奴隷制社会で、奴隷は当たり前の存在。
飼い犬と同様の待遇。
役に立たなければ、売られるか、殺されるか。
ローマ帝国のイタリアでは、自由民と奴隷の比率は1:3だった。
20世紀後半でも、奴隷を認める国・モーリタリアはあった。
因みに、人類史上で、奴隷の数が最大だったのは20世紀。
20世紀は戦争の世紀でもあり、奴隷の世紀とも云える。
人は状況や事情に迫られれば、何でもする。
泥棒や物乞いしか生きる道がなければ、平気でする。
インドの下層階級では最近まで、赤ちゃんのレンタル業があった。
赤ちゃんを連れている方が哀れさをアピールできる。
物乞いには必要なレンタル道具が赤ちゃん。
たぶん、今ではないと思うが。
例えば、ものを盗むのは悪いことだろうか。
強い者が弱い者から巻き上げるのは、人の社会で普通のこと。
一概に、窃盗が悪いとは言えない。
ただし、強者から盗むと制裁がキビシイ。
強者の私的所有は認められるが、弱者は強者がバックにいないとダメ。
これが人類社会の普通の決まり事。
弱者の所有権が認められるのは、限定的。
弱者には、子どもや女性や障害者やマイノリティが含まれる。
階層性の社会では、強者と弱者はすぐに分かる。
まず、教育が違うので、言葉づかいが違う。下層民の話し方。
服装がはっきり違う。顔つきも違う。時には、肌の色も違う。
下層民は社会から逃げようとしても、すぐに分かり、つれ戻される。
20世紀後半、弱者にも、教育の機会が与えられるようになった。
社会福祉の充実。
そして、弱者も社会の階層を昇ることが可能になった。
もちろん、すべての弱者に開かれていないが。
民主主義国では人権の尊重が言われるようになった。
弱者も私的所有が可能になった。
そして、窃盗が悪となった。
全ての規則やルールには、グレーゾーンがある。
善悪が、明確に線引きできない。
当人以外の誰も知らない、他人に気付かれないことは、なかったこと。
グレーゾーンは、どこにもある。
人間社会では当たり前。
大企業の不祥隠しもグレーゾーン。
政治家の汚職も。
例えば、万引き。
万引きは悪いことだろうか。
勿論、現行犯で逮捕されれば、否認が難しい。
誰も知らなければ、どうなるのだろう。
一般に、悪いことは、その行いが人に損害を与えるから。
しかし、人を傷つけても、当人が気付かないこともある。
心などの精神的出来事は、当事者の感受性でも変わる。
悪いことが良い結果を生み、
善いことが悪い結果を生むこともある。
人の行いは、評価が難しい。
はっきりと悪いことから、グレーゾーンの悪いことまで、
悪いことも多様性がある。
何が悪いことであるか、
悪いこととは何か、
非常に難しいテーマ。
善いこと、良いことは、もっと難しい。
つづく