人生で、自慢できることの一つが、瞑想。
40年以上やっている。
瞑想と云っても、自己流。
最初はヨガ(自己流)から始め、
チャクラも目指していたが、すぐに断念。
自己流の禅に移った。
背筋を伸ばして結跏趺坐。
腹式呼吸も自己流。
目は閉じる。
瞑想の目的は、内面との対話。
心身の微かなメッセージに耳を傾ける。
瞑想に入ると、聞こえる音は心臓の鼓動だけ。
規則正しい鼓動で全身が揺れる。
その揺れに心身をあずける。
静かな凪の海面に乗っているように。
あるいは、胎児が母胎の中で母の心音を聴いているように。
このやり方は、人生でとても役立った。
悩みや迷いがあるとき、
その解決法が自然にこころに浮かぶ。
人生において、何度もこれで助けられた。
5年前から気功のやり方を一部取り入れた。
気を感じるように注意した。
すると、すぐに、下腹部と背中があたたかくなった。
とても気持ちいい。
今、日中の私はふらふら。
車の運転も止めた。
自転車も危ない、両手に杖で歩く。
しかし、瞑想に入ると、ふらふらはなくなる。
瞑想では腹式呼吸。
吐く時はゆっくりと、できるだけ長く。
たぶん、この呼吸法を続けているお陰で、
下腹部と背中があたたかくなったのだと思う。
内面との対話は、とても刺激的。
世の中の真実が
よく分かる。
例えば、自分や私や自我。
これらの概念は、中身や実態がない。
言葉など、ほぼ全てが自分以外からの借り物。
オリジナルなものはない。
それが良く分かる。
最近分かったこと、
人にとって、死はないということ。
つまり、人は死なないということ。
さらに言えば、生もマボロシ。
人が生きているのは、意識があるから。
意識がなくなれば、死も生もない。
意識が生まれるのは、胎児からの体験の積み重ねによる。
体験が意識となるには、全身の神経系が関係している。
個々人の脳による独特の処理がある。
意識は世界を映し出している訳ではない。
その逆で、
世界があるのは意識がつくりだすから。
この世に、世界は無数にある。
野良猫一匹にも世界がある。
その他、いろいろな発見があって、おもしろい。
75歳の今、私に悩みや迷いはない。
瞑想を続けるのは、ただ、
気持ちいいから。
気持ちいいので、止められない。
なにしろ、温泉に浸かって、
優しいマッサージを受けている感じなのだ。
つづく