たまにテレビを見ると宣伝が多い。

「健康で長生きしよう」

「これを飲めば健康になれます」

こんな感じの大合唱。

 

健康で長生き。

それほど重要なことだろうか。

人が陥りやすい麻薬のような夢。

 

痛みや苦痛がなければ、健康と言える。

歩けなくても、別に困らない。

末期ガンでも幸せになれる。

食べられなくなると、あとは死ぬしかないが。

 

しかし、人にとって「死はない」。

これは、何度も説明している。

 

生きるというのは、今、この瞬間しかない。

長生きしても、今が長くなることはない。

 

今がある、それが生きること。

生きているあかしが欲しいと言う人がいる。

だが、生きていることにあかしは不要。

今がある、それだけで充分。

 

長生きすれば、もっと色々なことができる。

望みや夢や願いや志が実現できるかもしれない、と。

できるかもしれないが、多くは実現できない。

子どもの出世を期待する親バカの心理と同様に。

 

将来、幸せになれるかもしれない。

だが、今の幸せの方がずっと大事。

今を犠牲するなら、可能性はより小さくなるだろう。

今を我慢するなら、未来はさらに空しくなる。

 

生きもの・人に与えられているのは今、この瞬間だけ。

未来の可能性なるものは、人の脳がつくる幻想。

可能性・夢・希望で、今の充実感が濃くなるのなら有益だが。

 

過去に生きた人たちに、可能性はない。

勿論、彼らに今もない。

未来に生まれるかもしれない人にも、今はない。

今があるのは、この瞬間に生きている人だけ。

 

長生きしても、今が長くなるわけではない。

何故、人は長生きしたいと思うのか?

 

その答えは、単純。

長生きがいいと、周囲の大人たちがインプットしたから、

幼児から洗脳され続けているのだ。

 

いろいろと人生経験をするのは、とてもいいこと。

今が充実できるからだ。

 

しかし、人生経験で賢くなれる訳ではない。

真実が分かるわけでもない。

今の実感が、より深くなる訳でもない。

 

生きものという限界、狭い制限のなかで、

ささやかな実感を味わうことしかできない。

それが人のありよう。

 

私や自分や自我があると、強く信じている、

実際は思い込みにすぎないのに、

愚かな人だから、しかたないかも知れないが。