先月からネットフリックスで映画やドラマを見ている。
ノンフィクションから奇想天外なストーリーまで色々。
メリカのドラマ、「グッド・ドクター」や「メイド」がいい。
韓国では「黄金の私の人生」が楽しめる。
人がフィクションを創るとき、現実世界を素材にする。
例えば、人は3次元に生きてるので、
4次元の素材は考えようもない。
3次元の素材で4次元を想像するだけしかできない。
しかし、現実世界といえど、一つではない。
人の数だけ違う世界がある。
同じ人でも、時と場で違う。
現実世界に、単一の客観世界があるかどうか。
それは不明。調べようがない。
あると信じる人は多いが。
一人の人が死ねば、
一つの世界が消えたと同じ。
代わりに、新しい世界も生まれているが。
リアルな世界と、フィクションの世界、
どこが違うのか。
共に実感があり充実感もある。
感動も喜びもある。
生きがいもある。
成長が感じられる。
大きな違い、
リアル世界では、過去も未来も不確か。
今という、この瞬間でさえも、はっきりしていない。
それは当然。
人の数ほど、別々の世界が錯綜・混乱しているからだ。
フィクションでは、そこまでの不確かはない。
筋書もある、何を表現しているのか、ある程度分かる。
中身が分かるようになっている。
分からなくては、楽しめようもないからだ。
人が楽しむためにあるのがフィクション。
エンターテイメント。
芸術や学芸。劇や音楽。
ゲームというフィクションでは、特に、
能力の進歩がはっきり分かる。
昨日できなかったことが今日はできる。
テクニックやスキル進歩の実感。
そこに生きがいを求める人が多い。
現実世界で成長はあいまい。
進歩しているのか、分からないことが多い。
ゲームの目標のように、明確な指標がない。
つづく