人類社会の未来は楽観できるが、
日本の近未来については、少し悲観的。
ここ30年、日本経済はゼロ成長。
ゼロ成長自体は問題でないが、
ゼロ成長に満足している日本社会のあり方に、とても危険を感じる。
例えば、私の住んでいるまち。
小さい集団から大きな集団まで、
どんな組織であれ、人が集まるところに、
ミスは必ず起こる。
意図したミスから、うっかりミス、
スキルや経験のなさで起こるミス。
大多数のミスは、誰も気付かないミス。
もし、当事者しか知らない出来事なら、
当事者たちが隠せば、それが外部にもれることはない。
たとえ人命にかかわるような重大事でも、
調査して原因不明で終わることも多い。
また、調査が困難という事象もある。
太平洋戦争の責任問題、
一億総ざんげで幕切れとなった。
民間の問題では、有名なオリンパスの損失隠し。
経営陣は、微修正で乗り越えた。
内部告発者は閑職に閉じ込めるか、退職させた。
裁判闘争は、長引かすことでひたすら幕切れを狙う。
現状維持ができれば、それでいいと言う精神。
近畿財務局のミスも、内部調査は適当に終止符。
最後まで調べると、多くの人が抵抗する。
私は75年の人生で、大組織にいた経験がない。
すべて、一匹オオカミの生き方。
組織内の人間関係は連想するしかないが。
どんな組織であれ、
そこに生きる人は、各人それぞれの生き方が違う。
生き方が試されるのが、ミスを起こしたとき。
職場の仲間にも知られない小さな内容なら、
こっそり訂正しておけば、解決。
もし、知られても、数名で対処できれば、仲間内で秘密厳守。
上司の責任に関わる問題なら、
上司の意向が優先となるだろうが。
上司が嫌がることはできない。
もし、対外的なテーマで、
誰かに損失を与えた場合。
相手が知らなければ、それで終わり。
相手が損失に気付いた場合どうするのか。
外国のドラマを見ていると、
小さなミスも大きなミスも、
全部、報告するのが、職務義務となっている。
将来の問題を未然に防ぐためだ。
隠すのは重大な規律違反となる。
日本では、職務規律違反になるのは、
隠すよりも、むしろ、ミスを報告すること。
上司にこっそりと伝えて、隠すのが職務。
隠せるものは、最後まで隠す。それが職場の原理。
日本の学校では、
自由な行動や勝手な判断は許されていない。
決められた範囲で、決められた手順で行うことだけが許される。
もし、ミスが起こると、だいたい、
決められた手順でないことが判明する。
規則や手順は、集団の長年続く暗黙の習慣になっている。
自由な行動への許容度がとても狭く細かい。
ミスは誰にも起こり、
それを仲間でかばい合うのが職場の和。
和の精神を身につけないと昇進できない。
日本型組織の基本精神。
職場利益の維持が最優先の行動理念なのだ。
変化を起こすのは、良くない。
特別の場合だけ許される。
多くは、上からの指示。
黙って従うことしか許されない。
例えば、学校でも市役所でも、
職員たちの行動は、生徒の利益や市民の利益が最優先でない。
まず、職場の現状維持。
職場が安定し、仕事しやすいことが一番。
既得権益を守るのが一番。
教師なら、子ども一人のための勝手な行動は、良くない。
市民一人のために動くのも良くない。
親に影響力があり、市民が有力者なら別だが。
学校は、誰のためにあるのか。
もちろん、教師のためではない。
生徒の成長のためにある。
市役所は誰のためにあるのか。
勿論、職員のためではない。
組織内でかばい合い助け合うのは、道徳的にとてもいいこと。
小集団なら、文句なく推奨される理念。
しかし、大集団になると、かばい合いは許されない。
もし、ミスが致命的な場合、大集団に影響が及ぶ。
仲良し仲間のための既得権益維持の組織、
それが日本の大多数の集団が抱える深刻な病。
日本社会の弱み。
これを治すのは、容易ではないだろう。
外圧に頼るしかないかもしれない。
近未来の予想として、
円と国債の暴落が近づいている。
日本の経常収支が赤字になれば、近いだろう。
またも一億総ざんげで、
耐乏生活に戻るしかないかもしれない。
個々人が自立した社会が21世紀の理想だが、
日本にそういう道徳はない。
個々人は勝手に動いてはいけない。
これでは、イノベーションは無理だろう。