人は死期を自覚する。

私の場合、古稀を過ぎたころ。

こころの準備がはじまる。

 

人のイノチは短く、はかない。

業績を上げ、世の中に認められ、

お金も地位も名誉も手に入れて、

人から羨まれる境遇となり、満ち足りた一生を送る。

たぶん、若者の多くが、そんな気持ちを抱くのだろうが。

 

しかし、年老いて、

空しさを感じる人もいる。

求めていたのは、こんなゴールだったのだろうか。と

 

より相性のいい相手を求め、

離婚を繰り返し、ついに理想の相手にめぐり合えた。

どこまで続くか分からないが、

一時は満足できるだろう。

 

死ぬまで働きたいという人も多い。

仕事が生きがいになっている。

働くことは社会貢献、奉仕活動。

会社を興して多くの社員を養う人。

研究を続けたり、子どもたちの教育や育成に。

そして、一生をかけて人々を幸せにするために奮闘する人たち。

 

私にはマネができない。

私は晩年こそゆっくり過ごしたい。

 

多忙なのは、中年までならいいだろう。

しかし、古稀を過ぎれば、多忙さは良くない。

自分のことを内省する時間がとれない。

友人や仕事を最小にしないと、

人生の終わりに、

本当に重要な問題に取り組めない。

 

重要な問題とは、

人として生きるとは何か、

それに対する答え。

 

人の意識がどのようにして生まれ、

この地球上で、人の進化は、どのようになされ、

言葉や概念を使うという限界。

つまり、人であることの限界を知ること。

それが、晩年のテーマ。

 

それを考えるには、

時間がたっぷりと必要になる。


晩年は、かかえるテーマが

中年までとレベルが違う程巨大。

 

人類社会の未来予測もしなくてはいけないだろう。

人類の一員としての責任。