殺人は、何故悪いのか、Quoraで何度も回答。その一つが下記。

 

この世のものごと、人がかかわる事象の全てに、善悪という基準はありません。

真偽や正義も含めて、言葉や概念は、人が社会生活の必要からつくりだした道具にすぎません。道具なので使い方を間違えれば不便になります。

 

さて、殺人とはどういうことかです。

すべての殺人は、その件だけの固有のいきがかりや歴史があります。

殺人には、それに至る過去の歴史があります。

たとえ、行きずりの通り魔殺人でも、そこで出合うまでの経過があります。

当人たちのこころの遍歴です。

 

人は未来に生きることも、過去に生きることもできません。

過去を引きずっているとしても、意識が知覚できるのは、表面の一部だけです。

 

人の生は、それほど確かなものではありません。

人は自分やおのれが何であるのか、ほぼ無知です。

多くの人は知っていると自惚れていますが。

 

人にあるのは、今、この瞬間だけ、はかない存在です。

ある意味、無実で投獄された死刑囚のようなものです。

ある日、突然に、死刑が執行されます。死です。

 

人は正義や真理を保持している立派な存在ではありません。

とても弱く、はかなく、哀れな存在です。

例外なく、すべての人は同情に値するものです。

人としての限界の中で、あくせくしながら、あがきながら、

よくやっていると褒められてもいいのです。

 

人として生まれ、誰もが、極悪人になることも、

聖人になることもできます。

また、誰もが、殺人者にも、被害者にもなれます。

人生で善行を重ねても、それで善人になれる訳ではありません。

殺人者になる可能性すらあります。

誰もが、極悪人になれるのが、この世です。

 

もし、殺人者にならないで一生を終えることができたら、

稀有な幸運を与えられたのだと、自慢してもいいでしょう。

当人の努力やこころのあり方だけで、幸運を得ることはできないでしょう。

 

殺人が悪いのは何故か。

幸運に見放されたからでしょう。

あるいは、不運に見初められたからかもしれません。