今日はオリンピックの閉会式とか。
私はテレビを見ない(チラッとは眺めるが)、オリンピックには関心がない。
天使(娘)もあまり関心ないようだ。
オリンピックが面白くない最大の理由は、国別対抗になっているところ。
愛国心を称揚するのが気にくわない。
21世紀のこの時代に、愛国心とは、何という時代遅れ。
オリンピックが国別対抗ではないやり方に変わるのが、
いつ頃かと、考えてみた。
今のオリンピックは平和の祭典になっていない。
お金という誘惑にさらされた不健康な争いの場になっている。
スポーツ本来の健康さ、自由さ、公平さを取り戻し、
平和と繁栄の祭典にするためには、国対抗という愛国心称揚の場から、
個人の自立・自律を尊ぶ個人対抗の祭典に変える必要があるでしょう。
世界から格差をなくすという意義も含めて、
20年後くらいには、大変化を期待している。
そして、新しいオリンピックの理念は
下記のようになるのではないか。
スポーツの意義は、人の心身のスキル(技能)を争うことで、
競争は公平であることが原則。
ルールはこのためにある。
薬物や人工臓器を使った人体の改変は禁止される。
また、公平な競争を阻害することは、どんなことも許されない。
オリンピックは全てのスポーツを対象とするものではない。
人気あるスポーツが選ばれる。
参加選手は、公式な大会で標準記録を突破した人に限られる。
団体競技の代表も、公式な大会で決められる。
ただし、参加選手が地域で偏るときは、各大陸で公平になるように調整される。
オリンピックの財政は、各競技団体からの支援金でまかな。
そのために人気あるスポーツ中心の種目となる。
個人や団体がスポンサーの支援で成り立つものは、
支援金の面で甚だしい不公平が生じないように、
オリンピックの公平さを監視する組織が、
資金の公平な分配を考慮する。
出身国から特別な支援を受ける、
例えば、年金や賞金や報償や勲章などを受けることも、
競争の公平さを損なうので、監視組織が摘発する。
悪質な場合は、資格停止となる。
公平な競争の監視は、国から独立した専門家による組織が行う。
オリンピックは、各個人や各団体対抗の競技。
国や大資本による干渉を排除し、競争の公平さや、
スキル(技能)上達の尊厳さを保持する。
だいたい、このような理念でいいのではないだろうか。