よい争いとは、どんなものか考えてみた。

 

争いにも、いろいろです。

相手が倒れるまで続く争いもあります。

暴力や武力の強さを競う争いです。

そういう時代、価値は一元化。力が強いことが全てに優先です。

たとえ一時、平和であっても長続きしません。

良い社会とはならないでしょう。

 

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祭りの種目としては人気があります。

こういう競争は、栄誉や報酬が大きくなれば、

人の生きがいともなり、立派な職業ともなります。

 

優れた学芸をめぐる争い。

これも価値が多様であれば、

無数に良いものが生まれるかもしれません。

栄誉や報酬が大きいなら、

多数の人が一生を捧げる生きがいともなります。

 

安楽や利益や報酬や栄誉は多様です。

人により目指す価値が違います。

もし、公平な争いの土俵が用意されるなら、

社会全体の福利に寄与する可能性があります。

 

しかし、今、この世、私たちの社会で、

全ての競争はスタート地点で機会均等ではありません。

出来レースが多いのです。

賭け事が好まれるのは、それ故でしょう。

内情を知れば知るほど、結末がよく見えます。

 

国や会社や組織同士の争いとなると、予測可能になります。

相手に手の内を見せない、

ルールや原則を無視して、不正をこっそり行う方が有利となります。

つまり、正義はジャマです。

 

情報公開や透明性は、明らかに不利です。

秘密に行う方が良いことになります。

法は建前となります。

 

競争が行き着く社会とは、こういう社会です。

人権や法や正義などは、建前になる社会。

こういう社会は、健全ではないでしょう。

 

人や国のあいだで、どのような競争なら、

健全な社会となるのか、考えてみました。

例えば、国同士の争いなら、

国民に多様な自由を認める競争、

格差を最小にする競争、

お金持ちから沢山の税をとる競争、

つまり、そこに住む人々がより幸せになるような競争です。

 

しかし、幸せになるといえど、

他を犠牲にするような幸せは認められません。

地球人類社会全体の福利が向上するような方向しか認められないでしょう。

 

核兵器の競争、戦争兵器のための科学技術の競争、などは

互いの滅亡にしかならない、最悪の競争です。