多くの人は、この世、この世界が確かなものだと感じている。

それは仕方ないことだろう。

 

感覚がある。

5感からの生々しい情報。

見えている世界は、あるに決まっている。

そう信じて疑わない。

 

私ももちろん、そうだった。

違うと思うようになったのは、ここ10年くらい。

 

意識はどうして生まれるのか、

それを考え始めてからだ。

 

意識があるから、

あるいは、感覚情報があるから、

この世を確かだと実感する。

 

おおもとは、意識。

人の意識は、どのようにして生まれるのか、

それを考えると、おもしろい。

 

私は瞑想の習慣がある。40年以上。

瞑想して、意識について考える。

どうして生まれたのか。

 

まず、胎内からの記憶情報があるはず。

そして誕生後の体験がある。

体験の積み重ねによって、意識が生まれる。

 

言葉を覚えるのと同じだろう。

最初はおぼろで漠然としているが。

しだいにはっきりしてくる。

 

意識や言葉は、とても便利。

たいがいのものごと、事象を説明してくれる。

街を歩けば、地図が分かるように。

 

ものを数えることもできる。

ものの名前も分かる。

とても便利。

これがないと、生活できない。

 

意識は、その人の世界、そのもの。

実際の世界も、それに近いようだ。

なぜなら、多くの人が同様な説明・理屈を使うからだ。

 

夜、眠りにおちいるとき、意識はなくなる。

意識はなくなるが、消える訳ではない。

音がすれば、すぐに目覚める。

意識が戻ってくる。

 

意識をつくっているのは、

過去の記憶情報(感覚情報が大部分だが)と今の実感。

 

それらは、脳と全身、約60兆の細胞の相互のつながりに

蓄えられたネットワーク情報だろう。

固定したものではない、常に変化している。

取り出そうとしても、水の流れを掴むようなもので、不可能。

一時も休むことなく常時動いている(眠っているときも)。

 

つづく