人が生きられるのは、今、この瞬間だけ。

未来も、過去も、人にとっては概念でしかない。

しかし、人は、脳の働きで、未来のシュミレーションができる。

こうなるであろうという予測。

 

例えば、狩りのとき、ワナをしかける。

あるいは、獲物の逃げ道で待ち伏せる。

 

今の学生たちなら、試験勉強。

企業に働く人なら、商品企画。

投資先を決めるにも、未来予測が必要。

 

今というこの瞬間を、未来のための準備に使う。

多くの人は、今を、このように使っている。

良い未来を確実にしたいのだ。

今は少し我慢しても、未来に大きな収穫を期待する。

 

収穫があれば、いいのだが。

通常、ものごとは、人の思惑通りにいかない。

たとえ、成功して目標達成となっても、

次の目標が、すぐさま待っている。

 

マラソンランナーはゴールが目標。

しかし、ゴールしたら、それで終わりではない。

より高い目標が待っている。

 

昔、読んだ童話に、アレキサンダー大王が出てきた。

ひねくれた哲学者が大王に尋ねる。

「小アジアを征服したら、そのあとはどうします」

大王は答える。

次は、エジプト。

哲学者は、さらに尋ねます。

大王は答える。

次は、ペルシャ。

哲学者がさらに尋ねると。

大王は答える。

次はインド。

哲学者がさらに質問すると。

大王は、答える。

「ひとまず、国に帰って、ひと休みするか」

 

哲学者がその答えを聞くと。

大王さま、それなら、今すぐ、ひと休みされたら、どうですか。

 

最後の目標が、国に帰ることなら、

今すぐに、国でのんびりすることを哲学者は勧めた。

 

大王は、若くてエネルギーにあふれていた。

哲学者の意見を受け入れることはないだろう。

 

大王にとって、今の充実が大事。

未来は遠い先のはなし。

たぶん、死の不安もないだろう。

 

74歳の私なら、今の充実こそ大事。

過去や未来は、どうでもいい。

過去は変えようがない。未来は、あるともないとも言える。

今が一番。

 

長生きがいいと言われても、

74歳という長生きしてしている者には、よく分からない。

今しかないのに、100歳という先はないに等しい。

これで充分。

 

若者にとっても、今しかない。

大王と同じ。死の不安もない。

たぶん、大王と同様、長生きしたいとも思わないだろう。

死という不安はないからだ。

 

長生きに、どんな意味があるか、

今しかない人には答えられない質問。

回答不能。

 

長生きしたら、生きる意味が深く分かるかもしれない。

生きるとは何かへの回答が出るかもしれない。

74歳の私は、生きるとは何か、少し知っている。

 

人として生きることは、

それほどいいものではない。

そんなことが分かっても、つまらない。

 

幸せになる、満ち足りた人生、

それは、実に簡単なことだ。

それだけでいいなら、

そんな苦労することもないだろう。

受験や進学、就職、結婚、子育て、

楽な生き方はいっぱいある。

 

大王のように世界を征服しても、

人生の充実や幸せ度が大きくなるわけではない。

貧しい庶民と、あまり変わらない。

哲学者はそれが言いたいのだが。

大王には伝わらない。

 

74年生きた経験から言えることは。

長生きには、大きな意味はない。

長生きしても、人生の充実は変わらない。

今の充実が大きくはならないからだ。

 

若くして死んでも、赤ちゃんで死んでも、

あるいは、胎児で死んでも、

老人と比べて、そう大きな差はないだろう。

 

人にとって、延命などは特に不要。

120歳まで健康に、とかいう標語はバカげている。

 

今というこの瞬間しかない、人。

さらに、言語や概念という限界。

私や自分や自我というマボロシに執着する人。

そんなものは、どこにもないのに。

私の成長、私の業績、私の発明。

この世で私がすることは、あまり意味がないのだ。

 

たとえ、短い一生であっても、

幸せであれば、それで満点。

 

今日は、くだくだと書いてしまった。