Quoraの質問、「心ってありますか?」

 

専門家ではありません。常識で回答します。

脳の働きは、非常に複雑。

今の科学レベルでは、ほぼ無知に近いでしょう。

 

まず、身体が約40兆の細胞と約200兆の微生物で構成されている。

各細胞は隣や付近の細胞と濃密な情報交換をしている。

また、人体外部からの刺激を受け、それを信号に変える。

一部は、神経系を通じて脳に集まる。

 

脳の働きは、多層で多重、平行して無数の働きをなす。

また、各部分は定まった働きをなす。

ある部分は視覚と関係し、直線などの形を感じ、

ある部分は聴覚とつながる。

そして5感同士も相互に関係。

 

だから、特定の部分が病気などで死ぬと、

一部の働きができなくなります。

例えば、文字は読めても、意味が分からないとか。

聞き取ることはできるが、文字は書けないとか様々。

 

脳の働きは、各部で分担され、全体として統合される。

記憶や映像を蓄える能力、視覚や聴覚や味覚を担当する部分、

感情や情緒を担当する部分など様々。

 

そして、各部は相互につながっている。

脳は一体となり機能する。

バラバラになると精神的病い。

 

感情や情緒が、人間の中心だと思う人が多い。

しかし、中心ではない。

すべての部分が緊密に連絡しあっているから、全体で統一した働きができる。

 

以上の説明の結果、こころはどうなっているのかが分かる。

こころとは精神活動全体を指し示す言葉・概念。

 

私の考えでは、こころは、実体のない概念。

つまり、中身がない、中身が分からないので、あると仮定して、

つくりあげた、架空の名称。

しかし、この言葉には有用性がある。

 

もし、こころがないとすると、人には精神活動がないということになりえる。

それではマズイので、こころという概念をつくったのでしょう。

 

人は、成長して、変化する。

子どもの頃と老人では、全く別の人間。

同じ肉体なので、同じ人間だと思うのは、大きな間違い。

 

人は変化する。

昨日の自分と今日の自分は明らかに違う。

しかし、同一の人間であると仮定しないと社会生活ができない。

昨日の約束を簡単に忘れるのでは困る。

 

人のこころは、実際、大きく変化する。

例えば、結婚した当初と離婚時ではまるで違う。

それでも、こころは同じだと、人は思い込む。

 

こころは変化し続ける。

一瞬も同じではない。

人の精神的活動、脳の活動が変化しているから。

 

こころという言葉や概念はあるが、

実際のところ、真実を言えば、こころというものはマボロシ。

そんなものは、どこにもありません。

 

同様に、自分や私という概念も同じ。

自分や私もどこにもない。

 

人の内面には、胎児から記憶された情報がいっぱい詰まっている。

そのほとんどは、意識されない。

人が生涯のあるとき、突然、思いがけない行動をする。

そういう時に意識下の情報が表面に出てくる。

 

人は自分がどんな人間であるのか、実際のところ、ほとんど知らない。

意識されない。

死ぬまで自分について分からないままで生きるのが、人の宿命。

 

簡単に言えば、人はどんなに努力しても、死ぬまで愚かなままなのです。