外はマイナス4度。
禅の部屋は、1.2度、湿度62%。
ひざ掛けだけでいい。
すぐに、お腹と背があたたかくなる。
ぬくもりが背骨をあがり、肩へとひろがる。
とても気持ちいい。
昨日は良いニュース。
トランプさん、ついに敗北を認めたようだ。
大統領の就任式には欠席という。
たぶん、どこかで不正選挙糾弾の集会でも開くのだろう。
先月から、戒厳令を出すのでないかと、
私はいくらか心配した。
これでほっとできる。
人は悲しい生きもの。
脳があり、概念・言葉を操作できる。
概念とは、ある要素、性質、属性で、ものごとを分け、
別々のことにして、切り取る能力だ。
簡単に言えば、線引きすること。
ものごとの違いをつくること。
輪郭をつくること。
例えば、赤という色で、他の色と区別する。
ものの名前は、他のもの違うことを示す。
しかし、この世のもの・事柄はすべて、
明確に切り取ることができない。
線引きができない。
境界は不明確。
正と不正の間には、広大な灰色の領域がある。
ものを名付けても、名前が決められないことがいっぱい。
人の名前さえも、成長したり、国籍が変われば、変わる。
名前など、いくらでも変えられる。
自分の名を忘れる人もいる。
概念というのは、このようにあいまい。
数は、違う。
実在しない数を仮定して、つくった概念。
単位をつくり、演算を定めた。
しかし、現実には数は存在しない。
あなたが、1(イチ)を求めても、
どこにも見つけることができない。
従って、概念・言葉を使って考える人の思考は、
はっきりと限界がある。
概念があいまいだから、
どんな操作をくわえても、真理には到達できない。
あいまいなままで終わる。
人は真理や普遍的法則から無縁な存在。
思い込んだり、仮定することはできるが。
例えば、精神や魂を仮定して、
あると思い込むのはできる。
ただし、それだけだ。