特技ではないが、

今の私に、煩悩はない。

ほぼない。

 

ただし、生命力は煩悩に入れない。

我欲(自分中心の欲望)が煩悩と呼ばれるものだ。

 

例えば、私は、政治や世界のことに、

関心がある。

これは煩悩ではない。

半分は楽しみ。

特に、将来予測はおもしろい。

本当は、これを特技にしたいのだが。

私の能力に問題があるようだ。

 

楽しむことも煩悩ではない。

ただし、のめり込むと煩悩(執着)になる。

音楽でも将棋でも、この道一筋は危険。

 

若い頃は、煩悩がある。

自分が何か、よく分からないからだろう。

できないことをやろうとしたり、

こころと違うことを欲したり。

好きだと思いこんで耽溺したり。

やることがチグハグなのだ。

 

簡単に言えば、煩悩とは、

目をつむって車を運転しているようなものだ。

事故がないのが不思議。

人が若い頃を生きるのは幸運の連続の結果だろう。

 

普通、高齢になれば、

心身が欲することをするだけになる。

24時間、心身に忠実に生きるだけ。

あるがままに流れるように。

これでは煩悩の入り込む隙がないだろう。

 

今の私の煩悩といえば、

困っている人を見たら、こころが動くこと。

できることを何かしたくなるのだ。

もはや、そんな体力もないのに。

 

人には生命力が必要。

食欲も、性欲も、探求心も。

しかし、当人の心身に見合ったものでないと、

やることがチグハグになる。

 

高齢になると、心身が調和できるようになる。

チグハグもなくなる。

もはや、煩悩からの解放。

 

死を怖がることもなくなるだろう。

死は気持ちいい体験だ。

生きるというのは、かなり重い責務。

常に、最善の選択を迫られる。

自分や私という牢獄から解放される死は、

まさに、人にとって最後のご褒美だろう。

 

しかし、煩悩が一つだけある。

たぶん、死ぬまでついてくるやつ。

 

慢心という煩悩。

人は自分に甘い。

どうしても特別だと思うものだ。

これだけは、死ぬまでついてくる。

 

慢心から解放されるのが死だろう。

たぶん、ほっとするだろう。