若者は理想を抱く。

夢やあこがれやこころざしも。

中には誇大妄想も。

 

この世の全ての人を苦しみから救う。

そして、天国を実現する。

また、

宇宙の真理を悟ったと、確信する。

これらは、典型的な誇大妄想に入る。

 

釈迦やキリストも、

このような気がある。

 

誇大妄想と言ってしまえば、

少し可哀想ではあるが。

 

人は生きている間に様々な体験をする。

経験を通じて学ぶことに、

この世には、絶対の真実など、

固定した確かなことはない、ということがある。

これは、悟りというよりも、

もっとありふれた知恵の一つ。

 

例えば、

人は、例外なく、誰も皆、

自分について知らない。

経験を通じて知ることは限られている。

釈迦でも同様。

 

自分が何者であるか、

一生かかっても分からない。

深層心理も心の内面も分からない。

無意識に隠されていることは不明。

 

長年連れ添った夫婦も、

お互いについて不明なことが多い。

理解しがたいことが多いのだ。

それでも、何とかやっていくことはできる。

 

自分を知らなくても、

分かった気になって、

やっていくことはできる。

 

人が幸せになるには、

知識や知恵はあまりいらないと言えるかもしれない。