心のゆとりとは?
おもしろい質問なので、
私の理解の範囲で回答します。
こころとは何かを考える前に、意識とは何かを整理しましょう。
意識は人が胎内で生まれ、その後、胎外に出て成長する過程で、
脳が蓄積したすべての体験の集積・総体であると考えてもいいかと思います。
言語ももちろん含まれます。それ以上に、映像記憶や5感の記憶が豊富です。
意識が生まれるのは、それらの情報がある統一性を持つようになってでしょう。
そして、自己同一性を教えられます。昨日と今日の自分が同じだという暗示です。
こころが生育のどの段階で生まれるのか、分かりませんが。
意識が生じた後でしょう。
こころというものがある、と、これも大人たちからの暗示です。
そうか、心というものがあるのだと信じるようになります。
昨日の自分と今日の自分が同じだという思い込みと同じようなものです。
さて、心のゆとりとは、何でしょうか。
自分という意識に、ゆとりがあるかどうか、それは分かりません。
心にもゆとりなどないと私は思います。
人が生きるとき、生活するとき、意識は常に働いています。
意欲、計画、考え、推測、それらは意識です。
心はどこにあるのでしょう。
感情や情動や思いなど、意識とこころの違いは、どこにあるのでしょう。私には不明です。
「あなたは、誰?」と質問されれば、自分の属性を羅列するしかないでしょう。
住所、年齢、氏名などです。
もっと詳しく説明する場合は、性格特性や職業や家族や友人や政治的立場などです。
たくさんの項目を提供すれば、その人の特徴が現れます。
しかし、当人の正体までは分かりません。
心の正体も、また、分かりません。
本人さえも、自分の内面や意識下の記憶までは分からないでしょう。
好みや嗜好についても、どうして、それが好きなのかきちんと説明できる人はいません。
人の意識は、意識に上がってこない部分の方が圧倒的に広大です。
心のゆとりとは、何でしょう。
もし、心の広さが決まっているなら、
この部屋が空いているからゆとりがあるとか、言えるかもしれませんが。
意識も心も、たとえ狭くても使えるところを活用して、人は生きます。
私は、50歳頃まで、睡眠中の歯ぎしりがありました。
50歳というと、吃音から完全に解放されたころです。
そのとき、やっと、歯ぎしりの原因が分かりました。
そんな感じです。人の行動の原因は、分からないことが多いのです。
心のゆとりが、行動に現れるという例として考えられるのは、
血圧などの身体の反応でしょうか。
緊張などのストレスがあれば脈は速くなります。
興奮すれば、血圧は高くなります。身体の反応は素直です。
しかし、心とどんな関係にあるのか私には分かりません。
心のゆとりがあれば、たぶん、食事は美味しいでしょう。
味わうゆとりがあるからです。
睡眠も快適でしょう。健康だからです。