人が、現実を知りたいと思ったとき、
どうすればいいのだろうか。
人の思考や好みや感じ方は、
生育環境や遺伝、そしてに成人してからの体験に
大きく影響されている。
現実を知るとは、主観を排して、
客観的になることだが、
人は、主観から逃れることはできない。
例えば、何かの事件の本質が知りたいとなれば、
資料をあさっただけでは、つかめないだろう。
又聞きの間接的な情報では当てにならない。
現場に出向いて、直接取材するしかない。
ジャーナリストや警察官のようなワーク。
現場に行くと、危険な目にあうこともありえる。
大変な労苦。
実りがないこともある。
例えば、当事者に出会えたとしても、
当事者が嘘を言うかもしれない。
自分の思い込みを語ることもある。
だから、ウソ発見器が必要になる。
人を見る目がないと、
真実から遠くなるだけ。
どんな人も、人知れず問題を背負っている。
解決できないことが多い。
その最大の理由は、
現実や真実を見ることができないからだ。
現実を直視するのは、大体、勇気がいるだろう。
例えば、死を直視する、
人並優れた知性がいる。
諦めたり、思考停止は誰でもできるが。
死を考えて、何かいいことが得られるか、
わからない。
それよりも、楽しいことや気持ちいいことで
紛らわすのが、人の背丈にあっている。
宗教家は、思考停止をすすめるものだ。
結論は明確。信じなさい。と。
現実に近ずくのは、むずかしい。
この世は知らないままで生きる方が楽なことが多い。